Profile
本川 達雄 (もとかわ たつお)
東京工業大学名誉教授(専門は生物学)
連絡先: tmotokawaアットt06.itscom.net (「アット」はアットマーク;06はゼロろく)
- 1948年 仙台に生まれる
- 東京大学理学部生物学科(動物学)卒(1971)
- 東京大学助手(1975−1978)
- 琉球大学講師(1978−1985)
- 琉球大学助教授(1985−1991)
- Duke大学visiting associate professor(1986−1988)
- 東京工業大学理学部教授(1991−1996)
- 東京工業大学生命理工学部教授(1996−2014)
- 2014年4月以降は執筆と非常勤講師をしながらの年金生活者。また、 小学校5年の国語の教科書(光村出版)に本川の書いた「生き物は円柱形」という文章が掲載されており、小学校でのボランティア出前授業に励んでいる。出向いた学校はすでに100校を超えた。なにせ年寄りは次世代を育てることに意味を見いだすべしと、生物学から人生訓を引き出しているため、それを実践しているつもり。
現役時代の専門は生物学で、棘皮(きょくひ)動物(ナマコ、ウニ、ヒトデ、ウミユリ)の硬さの変わる結合組織の研究や、サイズの生物学の研究。
科学とは自然の見方、つまり世界観を与えるものだという考えのもとに、生物学的世界観を分かりやすく説く著書を執筆している。たとえば、
- ゾウの時間ネズミの時間 (中公新書)78刷 90万5千部(2017現在)
- 生物学的文明論 (新潮新書)
- 生きものとは何か (ちくまプリマー新書)
- ナマコガイドブック (阪急コミュニケーションズ) など
高校の生物の教科書を執筆しており、理科教育も分かりやすく親しみやすいものにしようという考えから、高校で習う生物学の内容を全70曲の歌にしたCD付き参考書も出した(歌う生物学必修編 阪急コミュニケーションズ)。歌う生物学者としても知られており、CD「ゾウの時間ネズミの時間〜歌う生物学 日本コロンビア」もある。
- 講談社出版文化賞科学出版賞(平成5年)
- 手島記念研究賞著述賞(平成5年)
- 東工大教育賞最優秀賞(平成17年)
- 科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞 理解増進部門(平成19年)
- 日本動物学会教育賞(平成26年)
なぜ棘皮動物の研究者になったのか
専門は生物学。棘皮(きょくひ)動物(ナマコ、ウニ、ヒトデ、ウミユリ)の硬さの変わる結合組織の研究や、
群体性のホヤを使ったサイズの生物学の研究をしています。
「動物学者です」と言うと、
「動物がお好きなんでしょうね」
としょっちゅう言われるのですが、それほどの動物好きではありません。子供の頃から殺生が嫌いで、昆虫採集など、やらない少年でした。
ナマコを研究していますと言うと、「初めてナマコを食べた人は偉いですね」と、判で押したように言われます。それほどまでにナマコはグロテスクなのでしょう。小生も、こういうイモムシ形の動物は、好きにはなれませんね。30年近くナマコの研究をやっていますが、いまだにだめです。でも、ナマコのことを知ればしるほど、ナマコを尊敬できるようになってきました。尊敬できれば、嫌いであっても付き合っていけます。
さてさて、それではなぜ動物学の研究を? そしてナマコを? ということになりますが、それは、そもそも小学校の頃から、ずっと学問をやりたかったからです。
ではなぜ学問を? ということになりますが、それは正しいことで身を立てたかったからです。自分が儲かるとか偉くなるとかとは関係なく、正しいことをやって生きていければいいなあと、子供ながらに思いました。正しい方向に歩いていれば、やましくなく生きていける。また、正しい方向に歩いているとは、正しいものとともに歩いているという安心感が得られる。ーそんな気がしていました(こんなふうに言葉では表現できなかったでしょうが、小学校の頃から、強くこういう感覚をもっていました)。
動物学を選んだ理由は、純粋な学問をしたかったからです。社会に役立つ学問は応用の学問です。儲かってしまいます。それは不純な感じがしました。それに、社会に役立つということの裏には、自分にも大いに役立つという思惑が、透けて見えるような気がしました。そういうまやかしは、やりたくなかったですね。正しいことが第一で、好き・役立つ・儲かるなどは二の次。どちらかと言えば、嫌いなもの・役に立たないもの・儲からないものに目を向ける方が、ごまかされないで安全だと思いました(ごまかされるというのは、他人にごまかされるという意味よりむしろ、自分の心にという意味です)。
理科離れをどうやって止めようかと、いろいろ議論されています。その関連の文部省の委員会に出ていたことがありますが、そこでの発言は、理科の大切さをアピールしよう、理科の面白さをアピールしよう、理科のすごさをアピールしよう、という趣旨の話ばっかりでした。具体的には、子供たちをピカピカの機械にさわらせればいいだろう、学校をインターネットでつないでコンピュータを身近にしたらいいだろう、などと、技術自慢の話が多く、小生のように、「理科は正しい、だから理科をやれば心の安心が得られると宣伝しよう」などという意見を言う人は皆無でした。
それはそうなのですね。だって、今の科学技術はちっとも正しくありませんもの。科学技術をなりわいとしても、心の安心など、まったく得られません。技術者は、つぎつぎと新しい製品を作って売らねばなりませんし、科学者も、少しでも他人を出し抜こうと競争しており、休まる暇がありません。
それに、科学技術が向かっている方向自体が、はたして正しいのでしょうか?
現在の科学技術は、人間の欲望を満たしながら、欲望の火をさらに燃え立たせることに奉仕するものだと、私は考えています。これでは、科学技術は正しいものとは呼べないでしょうし、科学技術で心の安心など得られません。だから、私が、正しい道を歩むために科学を選んだというのは、間違っていたのですね。
でもやっぱり、私としては、科学に正しさを求めたいのです。だからこそ、科学を批判的に見る努力を、いつもしています。それに、現代社会は、すべての営為が人間の欲望を満たすためのものという気がします。そう居直って見渡してみれば、直接のお役に立たない学問は、やはり、清く正しい営為だと思います。
もちろん、自分だけ清く正しくしていて、それで税金で養ってもらおうなどとむしの良いことを言うのははばかられることです。だからそれなりのサービスをするように、常日頃こころがけていますし、覚悟としては、たとえ労ばかり多くて儲からないことであれ、つまらないことであっても、やるべきことには汗を流す必要があると思っています。そこで、小生のスローガンは次のとおり。
「清く 正しく 貧しく 美しく、めざせ、学問の宝塚!」
「貧しく」を入れておけば、人生、大きな間違いはないと思っています。
さて、直接、社会のお役に立たない学問をするならば、理学部か文学部という選択になります。中学の頃には、どちらかの学部に進もうと思いました。
学問を一生していきたかったもう一つの理由に、「私とはなにか」という疑問をずっと問い続けたい気持ちがありました。ふつう、こういう疑問をもつと文学部に行くのすが、文学部というのは人間の頭や心の中ばかりのぞき込んでいる気がして、躊躇しました。それに「文学部」というと、なんだか自己破滅型の人間じゃなければ行ってはいけないような思いこみがあったものですから。(このあたりは、吉永氏のインタビュー記事も参照)
さて、理学部でも、物理も化学も生物もあります。
物理のように、分子や原子で「私」を含む万物を理解しようとするのは、すっきりとして気持ちは良いのですが、どうも愛想がない気がしました。
世の中では、自然のことは分子・原子ですっきりと理解し、人間や世の中のことは心でなんとなくあいまいに理解するという、二極に分化しすぎているように、当時の私には思えたのです。そこで、心と原子の中間の立場、つまり動物の視点から「私」を理解してみようと思い、生物学科(動物学教室)に進学しました。
こういう発想だと、ふつうはサルの行動を研究する、というふうに進むのがお定まりの道でしょう。でも、なるべくクールに動物を学ぼうという思い、人間とは大いに違うものを研究することにしました。
大学院では貝の研究、それから、ナマコをはじめとした棘皮(きょくひ)動物、そして今はサンゴやホヤも研究対象にしています。これらはどれも皆、あまり動かず、神経の発達していないものたちです。ヒトとは生き方がまったく違います。こういうものを見ていると、動物としてその対極にあるヒトの特徴がよく見えてくる気がします。
これらの動物(とくに棘皮動物)は、みな、ほとんど研究者のいない分野です。
私は、原則として、みんながやっていることや、やりたがることはしないことにしています。
自分や社会が儲からないことは、やらないのが、今の世の中です。嫌いなことは、もちろんやりません。でも、みんなが見捨てていても、みんなが嫌いでも、だれかがやらねばならない大切なことは、いろいろあるはずです。そういうことをやるのが尊い人生だと、私は思ってきました。
ナマコは誰もやりたがりませんね。儲かりませんし、ナマコでノーベル賞がでるわけもないし。
以上、なぜ動物学、それもナマコなのかということを、長々と述べてきましたが、小生のこういう性格からすると、一昔前なら比叡山に登っていたと思いますね。今でも出家願望はあります。
わたしが本を書く理由
みんながやらないこととは、やっても意味のないことや、たとえ意味があっても、直接は世の中のお役に(ひいては自分の役にも)、立たないことです。それなのに、なぜそんなことをあえてするのか、そうする意味は何なのかを、たえず、周りに言い続けなければなりません。私が本を書くのには、そういう事情があります。
科学は、技術の基礎となり、ものをつくったり病気をなおしたりと、直接生活の役に立つ面ばかりが強調されています。しかし科学には別の面もあるのです。
私は科学とは自然の見方、つまり世界観を与えるものだと考えています。
現代の私たちは、古典物理学の与える世界像・世界観をもって日々、暮らしています。18-20世紀は物理学の世界観が私たちの日常生活を支配してきました。しかし21世紀は生物学にもとづく世界観が広まらねばならないと私は強く感じています。時間の見方も、古典物理学的な時間では、私たちは、ただ時計に縛られるだけです。時間の奴隷になっているのが現代人ではないでしょうか。ところが、生物学的に時間を見れば、生物たちは、時間を自分なりにコントロールしていることが分かります。だから時間の主人になれるわけです。生物学的時間という考えにたどり着いたとき、私は肩の力がスッと抜けていく気がしました。
こういう見方こそ、皆さんにお知らせしなければと思い、「ゾウの時間ネズミの時間」を書いたのです。それ以来、生物学的世界観を分かりやすく説く著書を執筆することをこころがけてきました。
私はナマコという、私たちとはまったく違った生き方をしている動物とつき合っているのですが、そうしていると、世界を見る目がかわってきます。世界が違って見えてくるのです。
そして、沖縄の小さな島での生活も、私が世界を見る目をかえてくれました。そういう経験も、書いて伝えるべきだと思って、以下で紹介する、何冊かの本を書いたのです。