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世界史は苦手ですが、日本史に関しては、現在も勉強中です。嫌いな方もおられるでしょうが、試験には絶対に出ない裏話を中心に紹介していきたいと思います。

第6回 「源平合戦(その2)」

源平の本格的な戦いは、1177年「鹿ケ谷の陰謀」が露見したことから始まります。「鹿ケ谷の陰謀」事件は、歌舞伎の「俊寛」を見るとよくわかりますが、平氏打倒を計画していた後白河上皇の側近、藤原成親、俊寛が流罪になった事件です。この後、平清盛は、後白河法皇が首謀者とみて1179年に幽閉し、幼い安徳天皇を即位させます。しかし、これが貴族の反感をかって、以仁王(皇太子)が平氏打倒の令旨を出します。以仁王は最終的に暗殺されてしまうのですが、この令旨が大義名分になって源氏が挙兵するのです。

戦いの名称 主力勢力
(源氏−平氏)
勝利者 備考
1179年 石橋山の戦い 源頼朝−大庭景親 大庭景親
1179年 富士川の戦い 源頼朝−平維盛 源頼朝 平氏転落のきっかけ。
水鳥の羽音を頼朝の奇襲と勘違いして敗走。
1183年 倶利伽羅峠の戦い 源義仲−平維盛 源義仲 義仲の作戦勝ち。牛の角にたいまつをつけて敵陣に突っ込ませた。大群の襲撃と思った平氏はこれまた敗走。
1184年 一ノ谷の戦い 源義経−平敦盛 他 源義経 鹿が崖を駆け下りるのを見た義経が崖から平氏の背後をついて勝利。この時、討ち取られた平敦盛は、織田信長がこよなく愛した能「敦盛」(人間50年。下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て、滅せぬもののあるべきか。)の主人公。
1185年 屋島の戦い 源義経−平宗盛 源義経 扇の的を得た那須与一で有名な戦い。
1185年 壇ノ浦の戦い 源義経−平宗盛 源義経 安徳天皇と3種の神器の1つである草薙の剣で士気を上げるも源義経にかなわず平氏滅亡。安徳天皇入水。

という具合に源氏の5勝1敗の結果で源氏が勝つんです。そして、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉幕府が開かれる。ここで、平氏の次に源氏が実権を握ります。平氏→源氏ときました。じゃぁ、次の平氏の実権って誰が握るのよ?って。それはですね。なんと北条氏なんですね。ということで、次回は、(その3)になっちゃいますが、お付き合いください。

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