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世界史は苦手ですが、日本史に関しては、現在も勉強中です。嫌いな方もおられるでしょうが、試験には絶対に出ない裏話を中心に紹介していきたいと思います。

第5回 「源平合戦(その1)」

源氏と平氏は皆さん知っていますよね。今回は、シリーズで両氏の因縁についてお話しましょう。

まず、源氏は正式に言うと清和源氏、平氏は桓武平氏と言って、共に清和天皇、桓武天皇の子孫にあたる人たちなんです。この両者は、互いに武士の祖先と言われながら、良きライバルであるため、常に相争う関係にあるんですね。そして、何故かこの戦いが約700年続く武家社会を支えることになります。
じゃあ、まず源氏と平氏の戦いの始めというか出会いを調べますと、平安時代末期、保元・平治の乱から始まります。

<保元・平治の乱>
1156年(保元元年)、崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の間で争いが起こり、藤原氏、平氏、源氏のそれぞれが上皇側、天皇側について戦ったのが保元の乱。

皇室 崇徳上皇(兄)側 後白河天皇(弟)側
藤原氏 藤原頼長(弟) 藤原忠通(兄)
源氏 源為義(父)
源為朝(子、弟)

源義朝(子、兄)
平氏 平忠正(叔父) 平清盛(甥)
勝敗 敗北 勝利

結果、後白河天皇側が勝利するんですが、ここで実権を握った源氏と平氏が本格的に戦ったのが1159年(平治元年)の平治の乱です。

藤原氏 藤原通憲 藤原信頼
武士 平清盛
平重盛
源義朝
源義平
源頼朝
勝敗 勝利 敗北

ここで平氏は後々の世に影響を残してしまう大変なことをしてしまいます。平清盛は当初源頼朝を斬首しようとしますが、清盛の母は頼朝が幼かったことから、殺すことを止めさせ伊豆に流すことに留めます。歴史にもしはないのですが、結果的にこのことが平氏には仇になります。

さてさて、その結果がどうなったかについては、次回の源平合戦(その2)で詳しくお伝えしましょう。

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