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世界史は苦手ですが、日本史に関しては、現在も勉強中です。嫌いな方もおられるでしょうが、試験には絶対に出ない裏話を中心に紹介していきたいと思います。
第4回 「アルプス越え」
アルプス越えというと、歴史的に超有名な事件があります。皆さん、どんな事件を思い浮かべますか?日本史では、タイムリーなところで、佐々成政。世界史でいうと、時代は、前4〜3世紀のイタリア・アフリカ地方の話なんです。まずは、世界史で言うと、
<ポエニ戦争>
前3世紀ローマは地中海に侵攻。当時フェニキア人の植民都市であったカルタゴとの間に前後3回にわたるポエニ戦争(前246?〜前183)をおこします。で、結局はローマが勝利するんですけど、第2回目の戦いで問題の事件があります。俗に言う、「ハンニバルのアルプス越え」です。
カルタゴとイタリアは地中海をはさんですぐそこ。通常は、海戦を経てイタリア上陸なんですが、知将ハンニバルはなんと、逆ルートをたどって、スペインからアルプス山脈を越えイタリアへ攻め入るという奇襲をやってのけました。
さて、映画好きの私としては、一応宣伝してしまいますと、この時、ハンニバルは象を使って進入するんですが、ほぼ同じルートを逆に通る映画(時代は第2次世界大戦)として、「脱走山脈」('68英・原題「Hannibal
Brooks」・主演オリバー・リード)っていう映画がありますので機会があったら見てください。
ちなみに、余談ですが、外国TV映画の「特攻野郎Aチーム(The A-Team)のリーダーは、奇襲戦法の名人John=Hannibal=Smithですが、このポエニ戦争の知将からとったニックネームなんですね。(これも余談ですが、John=Smithは、一般的な人の名前の代表格です。日本で言うと、日本太郎とか花子とか、お役所の記入例とかに書かれる名前です。)
<佐々成政のアルプス越え>
日本史でも同じ様なことがあるんですね。まさに、歴史は繰り返す。当時、越中(現在の富山県)を治めていた佐々成政は、「小牧長久手の戦い(1584)」の折、羽柴秀吉と敵対していた徳川家康側につき秀吉に味方する前田利家を攻めます。ところがこの戦いの最中肝心な秀吉と家康は和睦してしまいます。佐々成政は、孤立し、家康に再び秀吉と戦うように頼みに行こうとしますが、周りは前田家をはじめ敵対勢力ばかり。そこで、佐々成政はなんと日本のアルプス山脈を冬に越えるというとてつもない作戦に出ます。結果はアルプス越えには成功するんですが、家康の決心は固く結局アルプス越えは徒労に終わってしまいます。そして、秀吉の越中侵攻で佐々成政はとうとう降伏。所領は越中(現在の富山県)新川1郡のみを残してすべて没収されます。その後、佐々成政は、1587年になって肥後(現在の熊本県)一国を与えられますが、国人一揆が起こりその責任を問われて切腹しその生涯を閉じたのでした。
こうしてみると、結局どちらも負け戦なんですね。奇襲作戦としては最高なんですが、戦況を大きく変えることは無理だったというのが結論です。実は、世界史の「アルプス越え」は、ナポレオンもやってますので、またいつかご紹介することにしましょう。