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世界史は苦手ですが、日本史に関しては、現在も勉強中です。嫌いな方もおられるでしょうが、試験には絶対に出ない裏話を中心に紹介していきたいと思います。

第2回 「忠臣蔵異聞」(その1)

「忠臣蔵」を知らない人いますか?歴史上は「赤穂事件」と言います。

<赤穂事件>
元禄14年(1701)、赤穂藩主「浅野長矩」が江戸城内にて「吉良義央」に対し刃傷に及んだ(刀を抜いて切りかかった、つまり障害事件を起こした)。幕府は、事件を重く見て「浅野長矩」に即日切腹の処置をとるが、「吉良義央」に対してはおとがめなしの判断を下した。当時、幕府は「喧嘩両成敗」を掲げていたが、この判決を不服とした「浅野長矩」の家臣、「大石良雄」以下47名は、元禄15年(1702)「吉良邸」に討ち入りし、「吉良義央」を殺害して幕府へ自首する。幕府は、審議の上、元禄16年(1703)、「大石良雄」以下全員に切腹の判断を下した。

というものです。

歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」とか俗に言う「忠臣蔵」を見ると、
・「吉良上野介(義央)」は、「浅野内匠頭(長矩)」をいじめていた。
・「浅野内匠頭(長矩)」の怒りがたまたま江戸城で爆発して事件が起こった。
・当時の国家老である、「大石蔵之助(良雄)」が討ち入りの首謀者
・「大石蔵之助(良雄)」と覇権を争っていた当時の家老「大野九郎兵衛」は藩の金を持ち逃げした。
・「大石蔵之助(良雄)」は忠義の家臣。

になってますが、ここから裏話です。

いつもいつも「吉良上野介」は悪役なんですね。「浅野内匠頭」をいじめまくるいやなじじい役。
でもですね。実際、何故「吉良さん」が「浅野さん」と仲が悪くなったのかと言うと、「塩」が絡んでくるんですよ。皆さんもポテトチップスなんかで知っていると思いますが、「赤穂の塩」は当時から(今も)超有名。それは、製法がうまかったからで、見てくれもかなり白くて上質の塩ができていたらしいんですよね。で、一方の「吉良さん」の領地の塩は製法の問題で、赤穂とは比べ物にならない。で、「吉良さん」は当時領民には相当慕われていた名君だったから、領民のことを思って、格下の「浅野さん」に製法を教えて欲しいと何回もお願いしたけど、当然企業秘密だから教えてくれるわけがありません。ところが、ある時、宴会の接待を頼まれた「浅野さん」は、「接待の仕方」を「吉良さん」から学んでくれと上役から命令されて、「吉良さん」から教えてもらわなくてはいけないはめになってしまいます。でも、前に「塩」のお願いを拒否されていた「吉良さん」は、当然教えてあげる訳がありません。ということで、教えて欲しいんなら、見返りに塩の製法を教えろとばかりに「接待の仕方」を教えなかったんですね。で、どうなったかと言うと、「吉良さん」に教えてもらえず、宴会の接待で恥をかいてしまった「浅野さん」は、逆上して「吉良さん」に切りかかって障害事件を起こしてしまうんです。
「どっちもどっち」かも知れないけど、後世に「吉良さん」が悪役で伝わっちゃった分、「吉良さん」って損していると思いませんか?しかも後から殺害されちゃうんですよ。なんかかわいそうですよね。

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