HOME>歴史裏話>試験にでない日本史・世界史
実は最近この試験に出ない日本史・世界史のコーナーが何故か人気のあることに気づきました。ということで、今年はこちらのトピックスを重点的に更新して行こうということにしました。よろしくお願いします。
第11回 「豊臣氏は藤原氏?」
都合6回にわたってお伝えした「源平合戦」はいかがだったでしょうか?
結構力作だったと思ってますが、長すぎましたかね。
さて、本題の「豊臣氏」ですが、農民から関白まで大出世した中世の英雄。アメリカンドリームならぬ、ジャパンドリームを実現した人です。
ところが、それなりにこの方も苦労をされて関白になっています。もともと中世の武家社会においては家系というものが重んじられていたわけですが、
羽柴秀吉は農民あがりの足軽から始めて、最後は政権を握るように大出世してしまい、当時では一番の成り上がり者、つまり、家系は農民出身という武将が登場してしまうことになったわけです。家柄を重んじる当時としては異例の出世の「秀吉」なのですが、家系はコンプレックスだったというか弱みなわけで、他の武将を制圧して天下を統一し、すべての武将がついてくるようなそれなりの伯がつくようにするには、ネームバリューを上げなくてはならないということに必然的になります。(この辺は今の世の中でも同じことなのですが...。)
そこで、役職(官位)というものを朝廷(天皇)から頂こうと「秀吉」は考えました。お金もそこそこあったので、朝廷に働きかけた秀吉は、当初、武家の頭領の象徴である「征夷大将軍」を狙っていたのですが、これは「源頼朝」以来代々源氏が就く役職であり、農民出身の秀吉には家柄が不適当という理由で結局許可がおりませんでした。秀吉は、そこで「関白」職へとターゲットを切り替えます。実は、「関白」は代々藤原氏他の貴族のつく役職なのですが、当時は武家社会であった為、藤原氏他の貴族達は官位はあるが実権はないし、荘園時代も終わっているのでそれなりに生活に困っていたようにも見受けられます。故に、秀吉はこのような貴族の弱みを利用して、藤原氏にお金を渡して藤原氏の子孫ということにしてもらい「関白」職の資格を得るようになったわけです。
ところが、「藤原」姓は名乗れませんでした。例えば、「織田」も「浅井」も藤原氏の系統を名乗っていますが、藤原姓を名乗っているわけではなく、あくまでその家の姓を名乗っていたので、「藤原」氏は「藤原」直系ではないとやはり名乗れなかったのでしょう。貴族は武家を位的には下と見ていた傾向があり、そのまま貴族の姓を名乗るのは「藤原」氏側にも抵抗があったとも考えられます。
さらに、秀吉は、それまで名乗っていた「羽柴」という姓にしても、「丹羽長秀」と「柴田勝家」のそれぞれ1字をもらった即席の姓なわけで、正式でも何でもなく伯がつく代物でもありませんから、「藤原」も「羽柴」も関白職をもらうにあたっての「姓」としてはふさわしくないと考えたと思われます。
では、どうしたか。ここで「豊臣」という姓が出てきたわけです。この姓は、朝廷が特別に秀吉に関白職と一緒に与えた姓なわけですが、上記のような貴族側、秀吉側の意向があって朝廷より賜った姓ということになります。