坂の上の雲・第二部は、明治三十三年、英国にて竣工した日本の戦艦「朝日」から始まります。日清戦争は終結したものの、油断をすればロシアを始めとする西欧列強国にいつ飲み込まれてもおかしくない状況の中、必死に国づくりを進めています。技術の取得や産業の近代化とともに、陸軍・海軍の整備・増強は緊急課題だったのです。
国家予算の半分を軍備に充てるという、文字通り「飲まず食わず」で、陸軍と海軍を整えていきました。
そして明治三十三年、大陸では清国内で義和団の乱が起こり、西欧への抵抗を試みましたが、連合軍により鎮圧されてしまいます。
西欧各国は、これを足がかりに中国大陸の利権を手に入れようとしています。特にロシアは旅順をはじめとして大規模な領地を得ようと狙っているのです。それを許してしまえば、次に狙われるのは日本に間違いありません。
ロシアと戦争をする。途方もなく巨大な国に、開国して間もない小さな島国が戦争を仕掛けるということ自体が無謀。もとより勝てる戦ではありません。しかし負ければ国が滅びてしまいます。
日本は「勝てないけれども決して負けられない戦い」に向けて歩き出していったのです。
ドラマでは、迫り来る脅威に雄々しく立ち向かう人々が魅力的に描かれていますが、ここではやはり、英樹が演じる知将・児玉源太郎に注目しましょう。
この時期、明治三十年代における児玉源太郎の活動は鬼気迫るものがありました。
明治三十一年から三十九年まで台湾総督の職にありながら、陸軍大臣、内務大臣と文部大臣を兼務、参謀本部次長と兵站総監を兼務、陸軍大将、満州軍総参謀長、満州総兵站監、満州経営推進委員長 等を次々と勤めていくという、とても一人の人間が勤めたとは思えない激務をこなしていたのです。
こういう経歴だけを連ねると、仕事だけの冷たいエリートだったような印象を受けますが、実はとてもユニークな人物だったようです。
台湾総督時代、仕事で外出するときは、前後に騎兵小隊をつけて威風堂々と行進したのですが、休日になるとこれが一変、着流しに藁ぞうりで街に遊びに出ていたそうです。そこでひょいっと入った料亭でご機嫌にお酒など楽しんでいたのですが、その風情に只者でない風格がある...いったいどこのご隠居だろう?と、店の仲居さんが尋ねると「それは抜かった。わしは今度来た児玉じゃ」と、軽〜く答えたそうです。
まだ封建主義が色濃く残っている時代に、国の一番偉い人、今で言えば大統領か総理大臣が庶民の身なりでニコニコしているのですから、お店の人たちは驚いたことでしょう。まるでどこかの時代劇のようなこの逸話は、当時の新聞記事にもなったそうですよ。
このあたり、地方ロケの時間が空くと楽しそうに地元の食堂や映画館などに入ってしまう英樹と似たような楽しさがあります。
さらに色々と資料を見ていると、なんと英樹との共通点が出てきました!児玉将軍は、「藤園」という号を名乗って書や画を描いていたのです。それもかなりの腕前です。
藤の花が好きだったのでそこから名づけたらしいのですが、児玉が亡くなってからその人柄を偲んで思い出話を集めた本が出版されました。寄稿したのは総理大臣・寺内正毅、新渡戸稲造、後藤新平、秋山好古など錚々たる人物たち。そしてその書名が「児玉籐園将軍」というのですから、当時の知人友人は皆知っていたようです。
そういえば乃木将軍も漢詩を作っていたそうですから、明治時代の軍人はステキですね。
この藤園将軍が描いた画や書を英樹も見たのですが、「いやぁ、やはりうまいね...」と感心していました。
もし児玉源太郎が英樹の書や画を見たら、やはり「なかなかお出来になる...」などと立派なお髭をしごきながら言い出しそうで、空想するのも楽しくなってしまいます。
ドラマには出てこない面白いエピソードは、まだまだいっぱいありそうです。調べてみると、坂の上の雲がもっと好きになるかもしれませんよ。
今回は、以下の資料を参考にさせていただきました。
「児玉藤園将軍」吉武源五郎編集 柘植新報社 大正七年発行
「藤園将軍(児玉源太郎)記念画帖」児玉秀雄編集(私家本) 大正七年発行
「史論 児玉源太郎」中村謙司著 光人社
「坂の上の雲(一)〜(八)」司馬遼太郎 文春文庫
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