目次
歌い始めは瀬底島
生物学の歌をつくって講義で歌っています。
ただしはじめから「生物学の歌」などという際物をつくろうと思ったわけではありません。
30才の時ですが、琉球大学に赴任して、瀬底島の臨海実験所を仕事場にしました。沖縄本島の北部、本部(もとぶ)半島のすぐ先に瀬底島(せそこ)が浮かんでいます。そこに海の生物を研究する施設(臨海実験所)があります。当時、研究員1名。そこに泊まり込んで実験をしていました。卒業研究の学生が数名、やはり泊まり込みで仕事をしています。
まわりはお墓とサトウキビ畑。人家は、ハブのうようよいる丘を越えていかなければいけません。真っ暗な闇の道。道には細長いものが、しょっちゅう横たわっています。たいていはサトウキビの茎なのですが、ハブと区別はつきません。
島の中のわらに孤立した島のようなところですから、仕事が終わって、夜、やることと言えば泡盛を飲むことぐらい。
飲んで歌でもうたおうかと思っても、適当なものも思い浮かびません。
だったら、臨海実験所の歌を作ってみよう! と思ったのです。そうしてできたのが「瀬底音頭」。♪一目見たときあなたのとりこ/一度入ってもう夢中/サンゴはなさく瀬底の海は/ほんにわったあ思い姫/瀬底良いとこ/一度じゃいけない/二度も三度もまたきたい!
やってみると、いとも簡単にできてしまったのですね。作詞作曲などできるとは思っていなかったのですが、このみち、実験所の歌など、誰も作らないのだから、下手でもあるだけまし、という、最初から肩の力の抜けた気持ちでとりかかったのが、できちゃった理由だと思います。都会にいると、餅は餅屋で、素人は手をだしにくいのですが、小さな島では、一人ひとりが万能の天才にならざるを得ません。ここが小さな所に住む、とても素敵なところです。
一度できると味をしめて、つぎは、生物の歌を作ってみました。手始めは「サンゴのタンゴ」。
琉球大学に赴任して、初めて講義をすることになり、講義ノートを懸命に作って講義したのですが、試験をやってみて、愕然としました。
これではいけない。最低限覚えて欲しいところを、きちんと伝えるようにしなければ、結局、学生の中に何も残らないではないか。
そこで、キーワードをおりこんだ歌を作って歌うことにしたのです。筋肉や繊毛が運動するメカニズムを教える講義では「微小管はすべる」、神経のところでは「自律神経節」、等々。
これは効果がありましたね。試験の点数がぐんと上がりました。(歌でキーワードを与えて、ここが試験に出るよと教えてやっているようなものですので。)
それに、歌えば寝ていた学生も、パチッと目をさまします。
琉球大学の学生たちは、とてものりがよく、歌い出せば手拍子は来る、指笛は鳴る。すっかり気をよくして、どんどん曲を増やしていきました。
13年沖縄にいて、東工大に移りました。やはり講義で歌ったのですが、さっぱりのらないのです。しらーっとしているだけ。「東工大の教授が歌うのは、どうもねえ・・・」という、怖い先生からのご意見もいただきました。
それならば、高校だったら許してもらえるだろう、というので作ったのが、高校生物の内容を網羅した70曲「歌う生物学 必修編」です。
歌う生物学 必修編
高校の生物の教科書を書いてみて、生物って、こんなにたくさん覚えなければならないのかと、今更ながら驚きました。覚えるのが苦手な生徒はつらいだろうな。そういう子が、試験前に、溺れるものは藁をもつかむ、の藁を差し出すのが親切というものだろうと、思ったのです。
そこで、聞いて口ずさむだけで、高校生物をマスターできるよう、CDを作りました。
高校生物の内容をすべてカバーするのですから、70曲になります。
そんなに覚えなければいけないなら、教科書読むのと差がないじゃないか、とおっしゃる方もいますが、教科書は全部で20万語。70曲は2万語ですから、1/10の量を覚えればいいのです。この差は大きい。
生物学は覚えることが多い分野。だから工夫が必要なのです。小生の歌は、選び抜かれたキーワードが並んでいて、それが語呂合わせで覚えやすくしてあります。
覚えるには大きな声でくり返し叫ぶのが良い方法で、同じ叫ぶのなら、言葉にリズムがあった方がよいし、メロディーがついていると、さらにスムーズに覚えられます。歌にすると、体に染みついて忘れられなくなってしまうものです。
CD3枚に、楽譜と歌詞と、歌詞の内容を要領よく解説した本がついてこの値段。お値打ちものです。
発売前に、知り合いの高校の先生にお願いして、効果のほどを確かめてもらったのですが、効果のほどは絶大でした。
これは画期的な教材だと自負しているのですが、出してくれる出版社をさがすのに、ずいぶん苦労しました。
発売したところ、結構、世の中の話題になりました。「徹子の部屋」でも歌いましたし、なんとあのScience(科学畑でもっとも権威のある雑誌の一つ)が顔写真入りでとりあげてくれました。某氏曰く「近年まれな快挙!」
「歌う生物学 必修編」(発売元阪急コミュニケーションズ、¥3,990)
啓林館のホームページ歌う生物学の何曲かが聞けます。 ♪「歌う高校生物」を聞く♪
歌う生物学 必修編 目次
- 1838細胞説
- 細胞膜は半透膜
- 細胞はふえる
- 四つの秘密
- 単細胞
- 道管は水道管
- 植物はレンガ積み
- 生めよふえよ地に満ちよ
- シダ植物の生活環
- 精子のぼやきのうた
- 等割する等黄卵
- クシクラゲ
- ハイヨー節
- 動物は水のつまった袋
- 誘導
- 1865メンデルの法則
- 種をまくメンデル
- 遺伝子ワルツ
- 運び屋血液
- 肝腎演歌
- 自律神経節II
- 血糖調節のうた
- 勇気りんりんアドレナリン
- 静止電位と活動電位
- チャンネル音頭
- 目とカメラ
- 耳のうた
- 繊毛は感じる
- 横紋筋と平滑筋
- 光走性・屈性・傾性
- 動物行動学の三人
- いとよき本能行動
- コミュニケーションの歌八首
- 植物・光・二酸化炭素
- オナモミ
- 植物ホルモンのうた
- 酵素こそわがいのちラップ
- 消化唱歌
- ATPのうた
- 歌う光合成研究史
- 光合成頌歌
- 化学工場plant
- タンパクのタンゴ
- アクチンはすべる
- T細胞とB細胞
- 遺伝暗号
- ACTG Act Good!
- 転写と翻訳
- パフ
- バイオテクノロジーのうた
- 発酵結構節
- 生物分類階層経
- 五界説
- 見た目はまったくちがっているけれど
- 維管束万歳
- 母の愛は包む(被子植物のうた)
- 脊椎動物進化節
- しろう46億年の歴史
- 大絶滅
- 新生代
- いやあごく(1859)ろう種の起源
- 変異ふらふらフラダンス
- ロジスティック・ラップ
- 作用反作用の歌七首
- 植物群系
- 伊豆大島遷移のうた
- 食物連鎖のうた
- 物質循環のうた
- ワカケホンセイインコ
- きる
「ゾウの時間ネズミの時間〜歌う生物学」
デビューCD。「およげたいやきくん」のプロデューサー小島豊美氏がつくってくれました。中でも「生きものは円柱形」が好評でした。
収録曲: 1.生きものは円柱形 2.植物は光の子 3.細胞は10ミクロン 4.生きものは水っぽい 5.スーパーマン・カルシウム 6.微小管はすべる 7.自律神経節 8.夏の誤算 9.スケーリング・ソング 10.科学とは仮学 11.風と光の子守唄 12.動物はうごく 13.ナマケモノのうた 14.きょくひ動物音頭 15.サンゴのタンゴ 16.二人はなかま 17.A Song of Catch Connective Tissue (これは私の主な研究テーマのコマーシャルソング。国際棘皮動物学会議で歌って大好評だったものです) 18.一生のうた(この歌は新書「ゾウの時間ネズミの時間」の最後に楽譜がのっているものです)
このCDは廃盤になったのですがR盤として復活しました(R盤の発注ナンバー:COR-12533)。
ちなみにR盤とは、オンデマンドCD-R販売のことで「入手しにくい貴重な作品を、お客様のご注文に対し、1枚からCD-Rに記録して販売店をしてお客様にお届けするサービス」だそうです。
「生命はめぐる」
NHK教育テレビ「人間大学」において、生物のデザインというタイトルで12回連続講義を行いました(1995年)。
その時、毎回1曲ずつ歌ったのですが、その中でたいへん好評だったのが「生命はめぐる」という歌。
私は生物の時間はくるくると円環を描いて回っているものだと考えています。
動物は子供を産んで世代がかわりますが、これは、時間が0に戻ってまた新たに生を始めることではないかと私は思うのですね。
そうして回り続けることにより、永遠をめざすのが生命だと思うのです。
伊勢神宮の式年遷宮はまさにこの原理をあらわしているものだし、
ネフスキーの「月と不死」は、われわれの祖先が回る時間の中に永遠を見ていたことを教えてくれます。
時間がまっすぐに進むという物理学的な時間観だけでは生命は理解できないのではないかと考え、この曲をつくりました。
この曲の最初の聴衆の一人だった番組を撮影してくれたカメラマンが、撮影終了後に、
「私、この間、母をなくしたのですが、この歌を聴いて救われた気持ちになりました」
と言ってくれました。
私にとって、とても思いで深い曲です。
なぜ、歌なのか
それにしても、なぜ歌なのか、いぶかしく思われるかもしれません。 高校の文部科学省検定教科書、高校生物IA(啓林館)の巻頭グラビアページに「生きものは水っぽい」という歌を、 楽譜付きで載せたのですが(文部省検定の教科書に、音楽でもないのに歌がのっているとは、画期的!)、 その関係で、なぜ歌なのかを、教師用の指導書に書いた文が以下のものです。
冒頭に楽譜が載っていることに驚かれたと思う。これが本書の姿勢を象徴したできごとなのである。 生物IAとは、親しみをもって生物を勉強してもらおうと、 自分自身の体や、日々の生活に直接関わる農産物について学ぶために、特別に用意された科目である。 親しみやすくなければ、この科目の意義は半減する。
生徒たちの日常は音楽にあふれている。 電車の中はもとより、勉強中でもイヤホンをしているなどというのは決してほめられたことではないが、でもこれが生徒たちの実態。 教科書が、そして授業が、始めから終わりまでいつもしかつめらしい顔ばかりしていては、生徒が拒絶反応を示すのも無理はない。 ページを開いて、パッと楽譜が目に入るだけで、生徒の印象は大いに違うはずだ。
とは言っても、生物学と歌とは何の関係があるの?というのが正直な印象であろう。 私(本川)は大学での授業で歌をうたいはじめて、もう20年近くなる。 細胞の活動電位についての歌「チャンネル音頭」、 生体内でのカルシウムの働きをまとめた「スーパーマンカルシウム」、 これさえ歌えばサンゴ礁についてすべてが分かるという「サンゴ唱歌」等々、作った歌は50曲余り。 この中から、1単元終わるごとにまとめとして1曲歌う。 大学で歌えば、当然、顰蹙も買う。 でもめげずに「歌う生物学」を続けてきた。 CDも出した(「ゾウの時間ネズミの時間〜歌う生物学〜」日本コロンビアCOCC12533。 この中に「生きものは水っぽい」が入っている)。
以下になぜ歌うのか、その理由を述べたい。
1. 歌は単調さを救う:
今の生徒は生まれた時からテレビと共に育っている。 テンポ良く、頻繁に場面が変わって飽きさせることのない、あのテレビに慣れてしまったら、 難しくて一本調子の授業なんぞに、ながながと付き合っていられるはずがない。 テレビは頻繁にコマーシャルが入る。 そしてコマーシャルは歌付きなのである。 テレビっ子にはときどき歌が入ってこそ馴染みのスタイル。 歌を入れれば親しみやすくダレにくい授業となるだろう。
2. 歌はライブである:
授業をしていて気になることがある。なんと言っても私語が多い。 また、学生は後ろの方に座りたがり、前から3列目までの席は必ず空いている。 学生たちはテレビを見るように授業を聞いているのだと私は解釈している。 空いた前の3列はテレビのガラスに相当する。 講師はガラスの向こう側、ガラスからこっちは安全地帯。 テレビは聞き手のマナーを問わないから、飽きたら眠ってもいいし隣とおしゃべりしてもいいと、 こんなふうにでも考えないことには、講師を無視して平気でペチャペチャする神経は理解できない。
事情は高校でも変わらないのではないか。 教師がテレビでいいのなら、なにも毎回、生の授業などする必要はないだろう。 教師と生徒とが一期一会でぶつかるのが授業の醍醐味。 授業はテレビではない、ライブなのだ!と生徒に思い知らせなければいけない。 そこで歌である。歌えば、ここはライブハウスだという雰囲気が出てくる。 聞き手にも一緒に歌ってもらえば、さらにライブハウス感が盛り上がる。
3. 歌は覚えやすい:
歌い始めた最大の理由は、大事なことを何とか覚えて欲しかったからだ。 学問にはどうしても覚えなければいけないものがある。 そういう大事なキーワードを並べて歌にすれば覚えやすくなるだろう。 ただ耳で聞いたり目で読んだだけでは、すぐに忘れてしまうものだ。 大きな声で口に出したり、手で書き写すという、体の動きを伴わせると頭に焼き付いて残る。
4. 歌はイメージである:
本当に分かったと感じるのは、どんな時なのだろう? 私自身の経験からいくと、一つ一つの事実とその論理的つながりを理解しただけでは、 どうも分かった気にはならないのである。 何度も何度も論理を追いながら考えているうちに、ある時、全体のイメージがパッと浮かぶ。 その時「分かった!」と叫ぶのである。 そうなってしまえばこっちのもの。 周期律表であれ運動方程式であれ、もう忘れないし自在に使えるようになる。 論理とイメージとが一致した時に本当の理解が得られ、知識が自分の血となり肉となるのだと私は思う。 科学は厳密な論理の上に成り立つものであり、 イメージという非論理的なものを紛れ込ませてはいけないというのがデカルト以来の科学の立場である。 だが理解する、理解させるというのは、また違う作業であろう。 教育からをもイメージを追放して来たのが今までの科学ではないか。 イメージを与える科学教育をしなければいけない。 言葉でイメージと言えば詩。これにメロディーをつければ、ますます覚えやすくなるだろう。 だから歌なのである。
5. 歌は脳の統合である:
科学は分析し、計算し、論理を組み立てていく。 これは論理脳である左脳の働きによる。 左脳ばかりを訓練してきたのが今までの科学教育だった。 でもそれだけでは、納得して分かったという段階には行きつけないのではないか。
人間は左脳だけで理解するのではない。 イメージの脳である右脳でも理解し、左右の脳の理解が一致したところで初めて心底から、分かった! と言えるのだと、私は考えている。 だから科学を体得させるためには、右脳をも満足させる必要がある。 右脳はイメージの脳であり芸術の脳。 そこで歌で右脳をも満足させようというのが歌う生物学なのである。 いくら科学だからと言って論理だけではダメ、もちろんイメージだけでもダメ。 科学教育においては論理とイメージとを両方与え、それらを一致させる努力が必要なのである。
今までの科学教育は論理や分析的な事実を与えることばかり行って来た。 つまり脳の半分だけしか使わせなかったのである。 歌を科学教育に取り入れるということは、右脳と左脳の両方を刺激し、 バランスのとれた全人教育を目指すものであり、大脳生理学的にも、 ちゃんとした基礎をもったやり方なのだと私は考えている。
私自身が大学人なので大学での自分の経験ばかり書いてきたが、初等中等教育でこそ、 歌う授業はふさわしいものだろう。 これだけ巷に音楽があふれている時代である。 理科であれ社会であれ、授業に音楽が使われて当然のような気がするが、そういう例をほとんど知らない。 詩人も作曲家も、勉強の歌など作ろうとは考えないようだ。 これは芸術家の側にも科学者と同じ問題があるからだと思われる。
科学の場合は科学の純粋さを大切にするあまり、教育からイメージを追放してしまった。 芸術の場合には逆で、芸術というイメージの世界の純粋さを保つことを重んずるあまり、 芸術教育から論理を追放してしまっているのではないか。 だから「理科の歌」などという芸術的に不純なものは音楽教育では取り上げないのだろう。 芸術の時間はイメージだけを、科学の時間には論理だけを教える。 これが今の教育の姿勢だと私は思っている。
芸術の時間には右脳だけ、理科の時間は左脳だけを訓練する。 これでは生徒の脳は分裂しっぱなしで、とても全人教育などできないだろう。 芸術vs科学、文科vs理科、等々、各専門に細分化された現代。この時代において、 ものごとを正しく判断できる人間を育てるために今一番求められているのは、統合する能力であろう。 一人の教師が自分自身の中で芸術と科学とを統合させて見せる、 そういう身をもっての実践が歌う生物学なのだ。