研究概要
本研究室では海の無脊椎動物の生理学、形態学を中心に研究し、 それとおして、かれらがどんな独自の世界をつくりあげているかを理解しようと努めている。
棘皮動物(ナマコ、ウニ、ヒトデ、ウミユリ、ウミシダの仲間)が主な対象。 棘皮動物は、すばやく硬さをかえる結合組織(キャッチ結合組織catch connective tissue)をもっている。 これは棘皮動物独特のもので、研究者はほとんどおらず、 この分野は日本(つまりこの研究室)が世界をリードしている。
キャッチ結合組織に関するすべての研究を行っている。 分子機構、結合組織の微細構造、バイオメカニクス、硬さを支配している神経の形態、薬理的特性など。 それらの研究を総合して、棘皮動物が現在見られるような生き方になったのは、 彼らがキャッチ結合組織をもったからなのだ、という結論に達した。 この見方は、代表的な無脊椎動物の教科書Ruppert & Barnes"Invertebrate Zoology" の棘皮動物の章の冒頭で大きくとりあげられている。
棘皮動物の結合組織の硬さ変化を調べているうちに、結合組織が能動的に収縮することを見いだした。 この収縮性結合組織の研究も、いま、メーンテーマに加えている。 (棘皮動物に関しては、小生の著書「ヒトデ学」東海大学出版会や や「ナマコガイドブック」阪急コミュニケーションズを参照)
現在、面白いな、と思ってやっているのは、ウニの歩行。ウニは棘と管足を用いて歩く。 つまり百本もの「足」があるわけで、これらをどのように使って歩いているのだろう? こんなこと、とうの昔に分かっていたんだろうと思うと、さにあらず。まったく研究がない。 そこで、ハイビジョンカメラも安くなったし、撮影してみたところ、思いもかけないやり方でウニが歩くことが分かってきた。
もう一つ、ウニの行動。ウニは丸い体をもち、口は下側についている。普通の動物は細長く、口が先端にあり、それを前にして進む。 ではウニはどうなのだろうか? ウニの歩く方向について調べている。この点に関しては、小生の著書「ウニ学」東海大学出版会を参照のこと。
サイズの生物学にも興味があり、。群体性ホヤを用いた研究を行った。 (サイズの生物学に関しては中公新書「ゾウの時間ネズミの時間」を参照) サンゴの生物学も興味のうちに入っている。 (サンゴ礁の生物学に関しては、中公新書「サンゴとサンゴ礁のはなし」を参照)
工業大学で生物?と不思議に思われるかもしれない。 もともと、この研究室は一般教育課程(教養)のためのもので、 それが大学改革で生命理工学部に配置換えされたという経緯がある。
研究テーマ
- キャッチ結合組織関係
- ナマコ(結合組織の硬さをコントロールしている神経系、とくにニューロペプチド、体壁のキャッチ結合組織の硬さ変化の分子機構、キャッチ結合組織のエネルギー消費)
- ウミユリとウミシダ(腕と巻枝の靱帯)
- ヒトデ(管足、体壁)
- ウニ(管足、キャッチアパレータス)
- ウミユリとウミシダの収縮性結合組織
- ウニの歩行・行動
- ウミシダの発生
以下に「遺伝」52巻4号(1998年)の研究室紹介に寄稿したものを再録する。
私がこれまでに研究してきた動物は、貝(軟体動物)、サンゴ(刺胞動物)、ウニ・ヒトデ・ナマコ・クモヒトデ・ウミユリ(棘皮動物)、ホヤ(原索動物)、すべて海の動物である。 そうなってしまったのには学生時代に受けた臨海実習の影響が大きい。 海にはこんなにも多くのわれわれとは違った生きものたちがいるものなのか!と、はじめて知り、感激した。 それ以来、三崎(東大)、瀬底(琉球大)、ボーフォート(デューク大)と、仕事の多くを臨海実験所で行なってきた。 現在は臨海実験所をもたない大学にいるが、下田(筑波大)で仕事をさせてもらっているし、瀬底や能登(金沢大)とのつながりも強い。 Biological Bulletin(Woods Hole臨海実験所の雑誌)の編集委員もさせていただいている。
硬さの変わる結合組織
私の20年来の研究テーマは棘皮動物に見られる硬さの変わる結合組織である。 結合組織とは皮や軟骨・靭帯・腱など。 脊椎動物の場合、皮や腱の硬さがすばやく変わるということはないのだが、棘皮動物では数秒〜数分内に結合組織の硬さが変わってしまうのである。
その良い例がナマコの皮だ。 ナマコをつかむと皮はゴリッと硬くなる。 ところがそのナマコを強く手で揉むと、皮が突然ドロドロに溶けてしまう。 そしてこんなになってしまったものも、また元に回復するのである。 皮が大きく力学的性質を変化させるのだが、この変化は、ナマコの防御や姿勢維持に役立っている。
これはほんの一例。 棘皮動物の仲間には、神経の支配の下に硬さを変える結合組織(キャッチ結合組織)がいろいろな場所に存在する。 私が仕事を始めた頃には、わずかの報告があっただけで、存在すら疑問視されていた。 この組織がさまざまな棘皮動物のさまざまな場所で働いていることを明らかにし、 キャッチ結合組織は棘皮動物を特徴づける組織であり、これをもったからこそ、棘皮動物は今のような生活が可能になったのだというストーリーを20年かけてつくってきた。 おかげで、世界中で広く読まれている無脊椎動物学や動物生理学の教科書にもキャッチ結合組織がとり上げられるようになった。
ただしまだ硬さ変化の分子機構が分かっていない。 キャッチ結合組織の面白い点の一つは、結合組織を支配する神経という、他では見られない神経系の存在だ。 これについても仕事を進めており、最近、硬さ支配に関わる新しい神経ペプチドを数種類発見した。
収縮する結合組織
ウミユリ。 棘皮動物の祖先形に最も近い体制と生活を維持している動物であり、 キャッチ結合組織の進化を考える上で、ぜひとも研究しなければならないものなのだが、 深海性のため、生きた材料の入手は不可能だと思われていた。
ところが最近、ウミユリを採集して飼育できるようになった。 今まで生きた状態での実験はおろか観察すらなされていない動物である。 案の定、仰天する事実が出てきてしまった。
ウミユリは海底に固着して動かない動物だと思われていた。 しかし飼ってみると、結構動く。 腕を使って流れのある所まで這い上がり、好みの位置まで来ると巻枝というフック状のもので体を固定する。 巻枝には筋肉はない。それでも動いてからみつく。
ウミユリの腕も巻枝も、円盤状の小骨が積み重なった細長い構造をもつ。 腕では円盤の中央部が線状に盛り上がって関節となっている。 筋肉は関節の片側にしか存在しない。 だから筋肉のある側にしか曲がらないと思われるのだが、実際には逆にもちゃんと曲がる。 筋肉をすべて取り除き結合組織のみ残した腕の標本を作ったところ、力を発生し、縮んだ。 結合組織内には筋細胞はもちろんのこと、他に力を発生しそうな細胞も存在しない。 結合組織自身が力を発生していることになる。
結合組織はほとんどが細胞外成分で、これが力を発生すると考えざるを得ない。 だから「細胞外運動」というまったく新しい現象を発見したことになるだろう。 どんなメカニズムで収縮するのか、いま検討中である。
サイズの生物学
私が面白がっているもう一つテーマは、動物のサイズに関するものである。 動物のエネルギー消費量は体重の3/4乗に比例する。 このことは昔から知られている事実だが、なぜ3/4乗かは分かっていない。 実験ができないから調べようがないのである。
そこで、今までとはまったく違ったアプローチをとってみた。 群体性のホヤで、サイズとエネルギー消費量の関係を考えてみようというのである。 これなら群体のサイズや形を実験的に操作できる。 実験を始めたばかりだが、とてもおもしろい結果が得られ、先が楽しみだとニコニコしている。
「脳のパン」をつくる生物学
ナマコであれホヤであれ、それを研究したからと言って、実生活に直接役に立つものではない。 しかし、われわれとはまったく違うものの世界を知ることにより、 ヒトという生きものの特徴がはっきりと浮かび上がってくる。 また、サイズという目を通してヒトを相対化し、自然の中におけるヒトの位置を知ることもできる。 私はこのような形で、生物学はわれわれの自然観や世界観の形成に寄与できると考えている。
体のためにパンが必要なように、脳が生きていくにも「脳のパン」がいる。 脳のパンと私が呼ぶのは、ものの見方、自然観、そして脳が喜ぶ知識・論理のこと。 科学は技術の基礎として、体のパンの供給に大いに役立ってきた。 しかしその役割は、そろそろ縮小しても良いのではないか。 豊かさとは物の豊かさではなく、脳のパンの豊かさに切り替えるべき時だと私は思う。 「脳のパン職人」としての生物学者の役割は、きわめて大きいはずだ。 「ゾウの時間ネズミの時間」等の著作を世に問い続けてきたのは、そう信じているからである。