BBC Horizon "The New Alchemist"(新手の錬金術師)(1993年、4月19日)
これはBBC2で放映されたもの。「生物をまねた材料」を作っている科学者を、日本、イタリア、アメリカと取材した番組です。
ナマコの皮は、硬くなったり軟らかくなったり、変幻自在ですので、私はかねがね「ナマコの皮でズボンを作れば、おなかがふくれてもすっとのびてくれるだろうし、ナマコの皮で車のダッシュボードを作れば、衝突したときにはどろっと溶けて人を包み込んでくれるだろう。ナマコをまねて、すばらしい素材が開発できる。」などとほらをふいていたのです。
それをどこから聞きつけたのか、BBCが取材に来ました。取材に来た可愛いおじょうさんに、英語版の歌のテープをプレゼントしたところ、それをディレクターが聞いて、本番で歌ってくれということになりました。これが歌手としてテレビ初登場、デビューは海外だったのです。アカペラで歌ったのですが、木管の感じの良い伴奏をつけてくれました。番組はかなり好評で、すぐにこの回の番組はアメリカに売れたそうです。以下のようなテレビ評が出ました。
Smart moves with spaghetti
Victor Lewis-Smith (TV Review, 20, April, 1993)
When a scientist programme opens with a camp Japanese sporting bottle-bottom glasses, apparently two sen short of the yen, singing in falsetto, his own Gilbert and Sullivan-style composition:” I am a starfish, Queen of the Sea,” then clearly the producer is trying to tell us only one thing. OK, we’re a science programme, but we’re not anything to do with the Open University, we’re much more interesting, honest.
Last night’s Horizon (BBC2) -The New Alchemists- began and ended with marine biologist Tatsuo Motokawa serenading the many virtues of his echinoderms. In the next century, our increasingly complex society is going to need clean, low-energy solutions to its problems, and many scientists are now turning away from present-day engineering methods and developing biological techniques instead.
Starfish and sea cucumbers can alter the physical properties of their skins in response to changes in their environment, something that Japanese biochemists are now trying to duplicate with their own laboratory-made Smart Materials.
Using polymer gel to create a rudimentary muscle, Yoshito Osada scored a hole in one on a miniature golf course, but that was just for starters; his ambition, he said, was to synthesise the precise movements of Marilyn Monroe. True, the caterpillar-like polymer he then showed us was not the shot-through-gauze Blonde Bombshell we had been led to expect, but it is early days, and it did at last wiggle a bit. Sir Richard Rogers (looking more like Steven Berkoff every time I see him) and Mike Davies talked about and intelligent office building they were designing for Tokyo. “This building will be aware,” they claimed, describing how the aeroplane wing, shape enabled it to generate wind energy, and how its skin could change colour and density to conserve heat.
It could adjust its balance during an earthquake and, best of all, would remember you and adapt itself to your foibles; turning off the lights if you forgot, switching on the heating before you arrived and, doubtless, fluffing up the duvet for you if it thought that a bit of jig-a-jig was in the air.
From Tokyo’s spectacularly intelligent building we moved on to Pisa, home to that gloriously stupid building, and also to Danilo de Rossi, who had developed an advanced biochemical theory modeled entirely on spaghetti, which he seemed to think was a naturally occurring life form.
He could make his synthetic pasta shrink or grow at will, and it was a 100 times tougher than human muscle-sounds to me like a restaurant best avoided.
Back to Mr Motokawa, whose love of sea cucumbers didn’t stop him hacking one in half to show us how they could expand and stiffen their body walls, and then relax in a rigid position. Mr Motokawa’s chief contribution to human civilization was based on similar principles, but sadly the expanding trouser is still only in the development stag.
At MIT, a few diehard engineers tried to demonstrate that there was still a future for the traditional Asimov-style mechanical robot. Ken Salisbury used hard technology to perform soft functions like picking up trash, while Helen Greiner demonstrated Genghis II, a toy robot with localized sensing devices. Genghis managed to clamber laboriously over a couple of books, but didn’t yet look quite up to conquering the Russian steppers.
Last night’s Horizon was imaginatively written, directed and researched, but both its narration and its score were lackluster, and a programme dealing with such an awesome topic should have had the maturity to dispense with the customary band of nutty professors. When Masuo Aizawa, a Tokyo bio-engineer who has been growing an organic computer from electronically treated rat brain cells, began dreaming “I want to make a brain in this culture dish- may ultimate goal is to create a life”, we were breathing he dangerous air of another planet.
The programme’s weakness was its unwillingness to probe the morality of such bio-technological experiments; its strength was the perceptive depiction of the shape of things to come.
Bio-engineers may be the new alchemists, but TV producers frequently seen to possess the same gift in reverse, transmuting potentially golden ideas into pre dross. Maybe last night wasn’t quite pre gold, but it was certainly 19 carat stuff.
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人間大学「生物のデザイン」(NHK教育、1995年、4月〜6月、12回)
NHK教育放送で、12回にわたり「生物のデザイン」と題して連続放映しました。各回の内容は以下のとおり。
- 生物は円柱形
- 生物は水みずしい
- 生物の建築法
- 動物は動く
- ちょっとだけ動く動物ナマコ
- サンゴとサンゴ礁
- サンゴ礁の共生
- サイズとエネルギー
- 動物の時間
- 時間とエネルギー
- 人間のサイズ
- 復習・歌う生物学
「でがらしTV」
赤星たみこの「でがらしTV」(TV Life, 1995, 6/10-6/23)にとりあげられ、漫画になりました。赤星さん絶賛!
●型破りの生物学 人間大学「生物のデザイン」(21日終了、教育)は、紹介される生物それぞれに曲をつける型破りのスタイルに驚き、「歌う生物学」に魅せらた。絶滅種が後を絶たない今日、多様性を尊ぶ視点を持ち、共生を大切にすることは物質文明に傾きすぎた現代人への課題と受け止めた。分かりやすく、地球上の生物すべてがいとおしく思える名講義だった。(沼田・関根薫・主婦・36歳)(朝日新聞、1995年、6月30日)
●最終6月のスクーリングで参加者からの一声、「ここめずらしく番組があたりましたね」がこの学習のすべてをあらわしている評価だったようです。
長い間のあらかわテレビセミナーに登場した採用番組の中で、これほど異色・型破りな番組もちょっと見あたりません。
テーマよし、話し方はわかり易く、声はよし、講師ご本人作詞・作曲の歌を毎回歌手としてサービスをしてくれるし(まあNHKの企画・演出のご苦労もしのばれるところですが)、至れりつくせりのユニークな内容の12回でした。
まず発想が斬新で示唆に富み、テレビ画面が単調でなく、沖縄のすばらしい海浜の風景と生物が映像をもりあげ引きつけられました。しかめつらしい講師の大写しが延々と続くテレビ映像はすでにあきられて来ている筈、かといって目まぐるしく急変し、音と大声で綴るドタバタバラエティ調も視聴者離れの傾向は周知の通りです。その意味でもテレビで学ぶ側から見たテレビ映像(特に「人間大学」などという名称をつけたNHKの堅い番組ではことのほか)の作り方、送り方で学ぶところが大でした。
東京の人口密度と人間の消費するエネルギーから生物学的に人間を位置づけると、うさぎ小屋はおろか、ネズミ小屋の中でゾウのような猛烈な行動範囲をもつ動物であるというお話に、ただ唖然とするばかりで、空恐ろしさを感じました。
地球上の多様な哺乳動物は大はゾウから小は6g程のネズミまで、さらに他の数々の生物たちも、最小限のエネルギーを使い、分相応の領域で「共生」していることを確認できました。
身のほどを知るということがありますが、地球上でヒトの存在は微々たること、ヒトサイズの動物の平均寿命は26.3年とは驚きです。縄文人の寿命は三十一才という推測値もあるとのこと。まさに現代のヒトは「おまけの人生」を生きている、とりわけ戦後五十年で三十才も寿命が延びてしまったにしては地球平和に寄与する生き方を実践しているといえるでしょうか。
私が私であることを自覚する時代、二十一世紀は生物学の時代、即ち、多様性を大切にする「共生」の知恵を出し合い、次の世代への希望を託すヒト社会にしようではないかと、本川講師は言葉を結ばれました。皆さんでまた話し合いましょう。
(あらかわテレビセミナーだより、1995年、6月30日)
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新題名のない音楽会(テレビ朝日、1999年、12月5日)
武田鉄矢が司会していた頃の「題名のない音楽会」に出演し、「生物は円柱形」と「一生のうた」を歌いました。現田茂夫指揮のフルオーケストラ(新星日本交響楽団)と東京混声合唱団をバックにして歌うのですから、これは快感です。「ナマケモノのうた」はプロのバリトン佐藤光政さんがうたってくれました。
●なまけもの“新題名のない音楽会「本川教授の歌う生物学」(5日、朝日)”に感銘した。三十歳以後は、いただいた命である。それ故に、後はなまけものでいればいい。つまり本川先生作曲の「なまけもの」の歌のように、緑の中にいたり、ゆったり酸素を体にいれなさいという。いままで人生を急いだこと、走りすぎたことを振り返り、思わず深呼吸した。(東京都・成田愛子・主婦・75歳)(朝日新聞、1999年、12月17日)
徹子の部屋(テレビ朝日、2003年、5月15日)
「徹子の部屋」で2曲歌いました。長寿のトーク番組としては、テレビでは徹子の部屋、ラジオでは日曜喫茶室(NHKFM)の二つが、とてもよい番組だと思います。わが女房の評価では「日曜喫茶室と徹子の部屋にでたら、死んでもいい」のだそうです。(じつはどちらも出てしまったので、これはヤバイ。)
視点論点(NHK教育、2005年、8月30日;NHK総合、再放送8月31日)
「視点論点」は、これで二度目です。今回は「団塊世代の生物学的人生論」と題して、自分自身を含めて、団塊の世代がどう生きるべきかを、9分15秒で話しました。その時の原稿を以下にあげておきます。
私は団塊の世代です。もうすぐ還暦。みんな定年になって、大量の高齢者がちまたにあふれる時代に入っていくわけです。大問題です。
そこで今日は、団塊の世代が定年後をどう生きたらよいか、当事者として、考えてみたいと思います。私は生物学者ですので、生物学の視点で、この問題を見ていきます。
高齢化社会のそもそもの原因は、寿命が非常にのびたことです。寿命も生物の時間の一種だととらえて、「時間」をキーワードとして考えていくことにします。
時間は万物共通だと、ふつうは考えます。でも、生きものが関わってくると、違うんです。たとえば、ハツカネズミみたいに小さなものの時間は速い。心臓はものすごく早いし、呼吸もせわしない。すぐに大人になって子供を産んで、パッと死ぬ。一方、ゾウみたいに大きいものは、心臓もゆっくり打つし、ゆっくり大きくなって、長生きする。
こういう時間の違いに、動物がどれだけエネルギーを使うかが関係します。ネズミは体重当たりにすると、たくさんエネルギーを使います。ゾウはあまり使わない。エネルギーを使うものほど、時間が速く進むんです。
エネルギーを使うっていうことは、いっぱい仕事をしてるってことです。同じ時間内にたくさん仕事をしていれば、生きていくペースが速いって言っていいでしょう。生きていくペースを時間の速度だとみなせば、動物の時間は、エネルギーを使えば使うほど、ピューッと早く進むもんなんです。
さてここで、生命とは、そもそも、どんなものかと、考えてみましょう。
私は、生命とは、永遠に続くことを目指しているものだと思っています。
私たちの体は、こんな立派な構造物ですから、建築物を例にとって考えてみましょう。永遠に続く建物を建てるには、どうしたらよいか。ふつうに考えれば、絶対に壊れない建物を建てたらいいと思う。でも、それはだめなんですね。時がたてば、みんな壊れる。諸行無常なんですね。
別のやり方があります。それが伊勢神宮です。時がたてば壊れるのなら、まったく同じものを定期的に建て替えてやればよい。そうすれば続く。
じつは、生命が伊勢神宮方式なんですね。体は使っていればすり切れてきます。いったんガタがきたら、いくら手をかけて直しても元通りにはならないから、古いものは捨てて、新たに同じものをつくる。これが子供をつくるということです。
もちろん子供をつくるには、エネルギーがいります。結局、エネルギーを注ぎ込んで、まっさらな壊れてない状態に戻してやる。別の言い方をすれば、時間をぐるっと元に戻してリセットしてやって、また新たに回転を始める。そうやってクルクル回りながら世代を交代し、常に新しく更新して永遠をめざしているのが生物です。
1回転ごとにエネルギーを使うから、早く回転するものほどエネルギーをたくさん使う、だから、時間の速度がエネルギー消費量に比例する。
生物の時間はこういうものです。ですから原則としては、年老いた動物は、いないんですね。年老いて生殖活動ができなくなったものが、長生きしたらいけないんです。自然では食べ物がいつも豊富というわけではありません。長生きしたら、自分の子供と餌を取り合うことになる。すると子供は栄養不足になって、結局、生まれる孫の数が減る。子孫繁栄はない。ですから、老いたものはすーっといなくなるのが、生物学的には正しい生き方なんですね。
人間の場合、老いの兆候が現れるのは40台です。実際、人生50年って、ついこの間まで言っていました。ですから、ここらあたりが消え去るには妥当なところなんですね。
ちゃんと子供をつくって、適当なところでスッといなくなる。こうすりゃ世代がうまく交代していって、サステイナブルな社会になります。でも、今の日本は、産まないし死なない。生物学的にみたら、とんでもない社会になっているわけです。
「生物学的にみれば」ですよ。もちろん私たちは単なる生物ではありません。
その証拠には、こんなに長生きができる。60歳以降などは、じつは保証期限の切れた体なんです。それでも、生きていける。これは医療をはじめとした技術のおかけなんです。
長生きは人類の叡智の勝利です。だから、たとえ体にガタがきてしも「こんなでも生きてられる動物が他にいるか!」って、胸を張ってりゃ、いいんですね。
大いに誇りに思っていいんです。でも、やはり後ろめたさもあります。なにせ医療をはじめ、老いた体を支えるのには費用がかかります。その費用の多くは、最終的には地球の資源を食いつぶして、まかなうわけです。本当は子孫が使うべきものを、われわれ自分の長生きだけに使ってしまう。これでいいのか、大変に疑問なところです。
生物学的に言いますとね、自分の子孫を残さなければ、価値は0です。そして、生殖活動を終わってしまった生物の価値も0です。
ただし例外はあります。子孫が繁栄するために役立つんならば、年寄りが生き残っていてもいいんですね。 ですから、60過ぎて、もう生々しい生殖活動ができなくなったら、子孫の為になることをやればいいのですね。何でもいい。自分の得意な分野で何かをして子孫の為に働く。孫育てもいいことです。
もちろん、なるべく地球の資源を使わない生活をします。エネルギーを浪費する機械にはたよらないで、自分で体を動かして何でもやる。もし介護が必要になったら、若者の手を借りずに、同世代で老老介護をする。
自分で体を動かして何でもするというのは、時間の観点から言ってもいいことなんですね。これは冬眠する動物のことを考えてみれば分かりやすいと思います。
冬眠するものは長生きなんです。冬眠中はエネルギーを使っていませんので、その間、時間は止まっている。その分、長生きになるわけです。でも、実際に活動している時間は延びてるわけではありません。
結局、体を使って仕事をしなければ、ただ時計の時間だけ流れていって、生物として意味のある時間は無いんです。意味のある時間を生きたければ、働かなきゃいけない。毎日が日曜日ではだめなんです。
時間って言うと、同じベルトコンベアーの上に、みんなが載せられて流されていくイメージがありますね。これでは時間の奴隷です。
でも、生物は、エネルギーを使って自分で時間のベルトを回しているんだと思うんですね。だから1日の間だって時間は変わります。休んでいるときはエネルギーを使わず、時間はゆっくり。活発に活動している時には時間は速い。動物は自分で時間をコントロールして、時間の主人公になっているんですね。
動物の時間という見方から、もう一つ、重要な教訓が得られます。動物では、エネルギーを使えば時間が速く進むのですが、これは、日々の生活の時間にも当てはまると思います。車を使えば早く行ける。エネルギーを使うと時間が速くなるんですね。
携帯を使えば早く連絡できる。携帯電話のシステムを構築して動かすには、莫大なエネルギーを使っています。携帯もコンピュータも、エネルギーを使って時間を早くしていると見ることができます。
便利な機械はみんなそうです。エネルギーを使って時間を早めているのが現代生活なんですね。
これは便利で素晴らしように見えるけれども、最近は、あまりにも時間が早くなりすぎてしまって、みんなが悲鳴をあげているんだと思うんですね。でも、いったんこうなったら遅くはできない。トロトロやっていれば、商売は負けてしまいます。
だからこそ、定年後にこそ、人間らしい、適度な早さの時間を取り戻せばいいんですね。
定年になったら、機械なんかに頼らない方がいい。そうすれば本当の時間を取り戻せ、資源の無駄遣いもしなくて済みます。自分で体を動かせば衰えにくい。こんなふうに、自分の体を使って、定年後は子孫の為に働こうではないか、というのが、動物の時間という視点から考えた私の提案です。
世界一受けたい授業(日本放送、2006年、3月18日)
「世界一受けたい授業」の放映が始まる前から、歌って下さい御願いします、と頼まれていました。小生の歌は、歌の解説を長々とやったあとで聞くと有り難みのでるものなのですが、この手の番組は、そう悠長なことはやってられません。歌ばかり矢継ぎ早に歌って終わった感じでした。まあ、これがテレビというものなのでしょう。
高大連携授業(東京工業大学教育工学開発センター、2002-2003年、後学期)
東工大の教育工学センターが衛星を使って授業を全国の高校や高専に配信しています。このプロジェクトが始まった年と翌年、小生の「基礎生物学A」(一年生むけの一般教育の授業)を生放送しました。講義のねらいは以下のとおり。
大学の講義だからといって心配する必要はありません。東工大生は高校で生物をとっていないの です。じゃあ高校の生物の授業をくり返すのかと言うと、ぜんぜん違います。将来エンジニアにな る人たちに生物学を学んでもらうのがこの講義。講義を聞くと、良い社会人になれる、良識ある技 術者になれる! と、そんな感想をもってもらえる講義にしたいのです。 講義の前半では、生物はどんな形をしているのか? どんな材料でできているのか? というふ うに、生きものをおおづかみに捉えて、生物の体のデザインについて考えてみます。生物のデザイ ンと人工物のデザインの違いを考えることを通して、現代人の生活を批判的にも眺めてみます。高 校までは、授業と言えば、事実を覚えることが主。でも大学では、世界を見通す目を養うことが重 要な課題の一つになるのです。そういう大学の雰囲気をちょっと味わってみて下さい。 授業の後半は、1回に1種類、いろいろな動物についての講義。違った生物は、われわれヒトと は、まったく違った体のデザインをもち、まったく違った生き方をしています。それらを知ること はとても面白いし、また、われわれと違った世界を知れば、それを通して、ぼくら人間はどんな生 きものなのかが逆に見えてくるものなのですね。生物を学んで自分自身を知る-この講義の大目標 です。 ほぼ毎回歌が聞けます。お楽しみに!
この講義の最終回は「歌う生物学バンド」(キーボード伊藤公子、ベース金子行延、ドラム中井典雄)の皆さんの協力のともに"That's Edutainment"と称して、歌で半年の講義を復習する歌番組をやりました(この回は授業参観あり)。
しばらくお休みしていましたが、2007年後期から、またこの高大連携授業を再開いたします。高校、高専の先生方、どうぞ生徒さんに受講するよう勧めて下さい。受講は学校単位で行います。連絡はoffice@cradle.titech.jpまで。