中沢新一×大平具彦 ツァラ対談

2006年8月31日 夕方5時半、秋の訪れを予感させる薄曇りの東京・大崎のホテル内カフェにて
21世紀、文明の転換点で再び目覚めるツァラの重要性を、ビッグ・キャストで語っていただきました!


簡単なご紹介をしようと思ったのですが、お二人の経歴は今からお届けするフランクな対談の冒頭には迫力がありすぎたので、別ページにまとめました。こちらをご参照ください。両氏の略歴紹介

ここでは、ひとことで。
大平具彦(おおひら ともひこ) このサイトでもお馴染み、日本で数少ない貴重なツァラ研究家。その中でも、今現在継続してツァラ研究を第一に活動されている稀有なツァラ財産。日本語全集の翻訳もされ、今ツァラを読む人なら誰にとっても恩人でしょう。

中沢新一
(なかざわ しんいち)

芸術人類学の提唱者。現代に野生を解き放つ鍵!
宗教、芸術、人類学、その他包括して大きなヴィジョンを見られている方。
人間が生きるということの最も根源的な部分に触れていらっしゃいます。

初対面にもかかわらず、会った瞬間から何の抵抗もなくポンポンと話のはずんだお二人。
みなさんも、気張らず読んでみてください。


◆ ◆ ◆

O:中沢さんもツァライストだったとは、今日はじめて知りました。
N:いや、一番あの…感覚が合ったんですよ。シュルレアリストの詩って、あんまり好きじゃなかったんですね。
O:いや、私も(笑)
N:まったく違う。それにやっぱりなんか、フランス人だなって感じがして。いやあんまり好きじゃないんですよ、あれは。で、ツァラを読むとね、なんか東洋的な感じもするしね。ちょっとタイプ違うし、いわゆるダダっていわれているもの、ダダイズムっていわれているものと、ツァラの詩って違うんじゃないのかなって思うんです。
T:はい。
O:ええ、ツァラのダダと、他の人が考えるダダっていうのはちょっと違ってて。
N:日本のダダとかね(笑)
O:日本のダダというのはツァラとは系列が全然違うんですよ。
N:日本のダダはね、ああこれもダダかって読んでみたんですけど、全然…ただの駄々っ子みたいな(笑)
O:だから私はもうよう読まんですよ(笑)

N:ええ。だから…ダダ・シュールって、
O:まとめられてるけど。全然違う。
N:そう、全然違う。
O:違うんですよね、ダダとシュールは。私が思うには、ダダとシュールは、父は同じだけれど、母が異なるいわゆる腹違いの息子たちのような違いがあるんです。
N:うんうん。

(中略)
O:今日こういう対談がセットされたのも、5月に東大であったシンポジウム※の時の私の発表がきっかけだったとか。
N:そうですね、あのときのメモを築野さんにいただきまして、それを見ましてね。ああ、似たようなことを考えてるかたがいらっしゃるんだなと。
O:いや、私の方がびっくりですよ、中沢さんがツァラをそれだけ読まれているって知らなかったものですから。
N:ああ、そうですか。昔だから、もうほとんど具体的にどの詩っていうのは忘れちゃってますけどね。ただそのときの感覚はよく覚えてますよね。

文学と詩
N:ツァラはね、文学じゃないんですよ。だから好きなんです。僕文学嫌いなんです。
O:じゃあ同じだ(笑)
T:どういうことですか、文学じゃないって?
N:いや、文学…もっとね…マテリアルでリアルなものなんですよ。
O:マテリアルでリアルで、そして、生命とか宇宙とか物質とかいうのをトータルに考えるんですよ。
N:うん…文学っていうものは、文学ってフィクションの次元があって、その次元の中で、人生の色んなものを屈折させていくんだよ。で、その屈折度合いで。
O:基本的に情緒に戻りますね。
N:まあ、叙情ですよね。その屈折度合いが、僕は嫌いなんです。
O:だって、築野さん、あなただってそういうの嫌いでしょ?(笑)
N:絵描きが文学好きだったら最悪だもんね。
O:絵描きは文学的な絵を描いちゃダメですよ。文学者が美術批評をやると自分の情感でもってやることが多くて。
N:ダメなんです。
O:ダメなんですよね。
N:やっぱりね、透明…な、グラスじゃないとダメなんです。そこへこう、結晶の歪み、なんていうのは文学になるんだけど。

オクタビオ・パス
O:ところで、今、オクタビオ・パスについて考えていて、最近読み始めたのにこんな本があるんです。
N:『The Philosophy of Yoga in Octavio Paz's PoemBlanco』。
O:パスの代表作に、Blanco とういうのがあって、スペイン語ですから「白」という意味なのですが、英語で言うとBlank となるのかな、これを荒川修作の「ブランク」というコンセプトと関連づける見方があって。パスも荒川もそれぞれ違うと言っていますが…
N:ああ、Blanc…でもホワイトでもいいですね。
O:ええ、普通はホワイトと訳されてるんです。ところがオクタビオ・パスのこの作品の中では、このブランコ(ブランク、白)は、仏教的な意味での「空」というふうに使っている。
N:ただ、これ思うんだけど、マレヴィッチのホワイトっていうのは、あれはブランクだから。あれを敢えてマレヴィッチはホワイトって言っている、ということと近づけて考えれば、ホワイトでもいいかな、とは思いますね。
O:そうですね、そう考えれば、ホワイトでいいんだと思う。白が空白の白とつながり、また英語でポイントブランクと言えば、直射の、ずばりそのもののという意味にもなる。
N:うんうん。
O:で、パスのBlancoには、白、空(クウ)、直射というそれぞれの意味が複雑に絡み合いながら統合されているらしい。私はまだイントロダクションしか読んでないんですけれど、ダダ、シュルレアリスムなどのヨーロッパ・アヴァンギャルドから養分を得てきたパスが、空(クウ)なり、ヨガに行き着くということが興味深くて。
N:Philosophy Yogaですね。
O:パスのBlancoに仏教哲学が入っていることは前から言われてたんですよ。パスはインド哲学に造詣が深かったですし。

N:インドね。
O:インドがあるし中国があるし、日本もある。
N:あれは面白かったですね、パスの、ハヌマーンを主人公にした…『偉大な文法学者の猿』。
O:あれはもう彼の詩のエッセンスが入っていて。
N:大変すぐれた作品ですね。
O:そう、だから何故これだけ偉大な詩人がメキシコから生まれたのかって皆言うんだけども、むしろ文化が多層に重なったメキシコだからこそ、パスが出たわけですよ。
N:そう思います。


ツァラ、エトセトラ
N:ツァラのね、先生の発表のレジュメを見て、あ、と思ったんです。僕もツァラにこういうこと感じてたんですよね。まあ一切言わなかったですけど。
O:私も目にしたことなかったですから(笑)
N:ていうか、聞く人もいないし、僕に。それで僕がツァラ読んでるなんてことも知らない。
O:ツァラの読者はねえ、絶対的に少数なんですよ。世界中。
N:そうだね。
O:ところがその一人ひとりの読者は非常にレベル高い。
N:でみんな黙ってる(笑)
O:そう、黙ってる(笑)

N:君みたいにね、公表する人……(笑)
T:ふふ…
O:ところで、ツァラの詩がどこから来ているんだろうということだけど、おそらく築野さんも言うように、中沢さんの言葉を使うと、ツァラの詩の言葉は「高次元体」なんだね。
N:ああ、そうですね。
O:それで、他のシュルレアリストと違って、どうしてツァラにああいう詩が書けるのかということを追っていくと、やはり、彼はヨーロッパ特有のあの遠近法的な感覚形態を、中途半端にでなく根本的に突き抜けたんですね。ツァラはすでに若い自分からそういう感覚を持っていて、でもそこを突き進んだのは、ダダの初期に遠近法的なリアリズムとは全くちがったアフリカン・アートを見たのが彼にとっては実に大きかった。
N:うん。
O:なのでダダはね、前衛・後衛などというヨーロッパの尺度でなく、世界全体の文明の中で考えなきゃダメだと思うんです。
N:ま、超・後衛なんですよ(笑)
O:なるほど。
N:あの…本が出てますよね。
O:ええ、Découverte des arts dits primitifs。マルク・ダシーの
序文付きで
N:プリミティブ・アートについての。
O:そう。今年の7,8月に出てます。
N:こないだ買ったよ僕。
T:え、誰の。
N:だからツァラの。プリミティブ。アートについての作品集。アンソロジー。
T:うそ、知らなかった。だめだな
O:Découverte des arts dits primitifs、つまり「いわゆるプリミティヴ・アートの発見」というタイトルの本ですね。
T:全集に入ってるものと同じですか。
O:そう、それで少しばかりテキストに変更が見つかって、ダシーが序文の中でそれについて触れているんですね。


ジャリ
N:ツァラは昔から気になってる詩人で、ただ詩のこととか、言いたくないから(笑) 書かないんですよ。
O:でも、デュシャン論がありましたよね。
N:あ、四次元の話ですね。
O:ええ、四次元としてのデュシャン作品。
N:あれはでも、どっちかっていうとロシア論ですから。
O:ああ、なるほど、ロシア論ですか。『東方的』ですものね。
N:そうなんですよね。意外なようで知ってんじゃないかな、僕なんか、ツァラ。僕はね、あと、アルフレッド・ジャリが好きなんですよ。フランス詩人の。
O:どういうところですか。
N:ジャリの、なんて言いますかね…思考方法っていうのが非常に好きだし、生き方もすごく好きですね。
O:生き方ね。
N:ええ…ジャリとツァラっていうのは、ちょっと似てるとこを感じるんですね。
O:ジャリとツァラは似てるか。なるほど。

T:ジャリは読んだことないです…。
O:ジャリってのは変な男なんですよ。
N:うん。フォールストロール博士とかね。
O:奇怪な。
N:奇怪な男ですよ。
O:なんか普通のアプローチだと殻が固くて入ってゆけないけど、わかるやつはパッとわかるんだよね。
N:築野さんみたいな愛し方でいうと、ジャリはけっこう愛してます(笑)


※『近代の二つの顔――〈前衛〉と〈後衛〉 戦争・テクノロジー・記憶』(2006、5、13‐14) 東大文学部フランス文学研究室主宰。その中で大平具彦さんは「トリスタン・ツァラとプリミティヴ・アート――前衛を導いた二つの<未開>について」という発表をされ、そのときのレジュメに中沢新一さんの『芸術人類学』(2006、みすず書房)が参考文献として挙げられていたので、多摩美教授であった氏に学生の私がレジュメを差し上げたことに、このご縁は発しています。)



まだまだ続きます!

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