| 抹香鯨の鉄道事故年表 |
TOP > 1980〜1989年 1980年2月20日 京阪電車置石脱線事故(負傷者104名)概要1980年2月20日20時59分、大阪府枚方市の京阪電鉄京阪本線枚方市〜御殿山間で、淀屋橋発三条行急行列車(5000系電車7両編成・乗客約400名)の先頭3両が脱線し、先頭車が民家に突っ込んだ。 原因中学生グループが線路にコンクリート蓋を置いたため。 影響保護者への損害賠償請求訴訟が最高裁まで争われた。電車1両が廃車。なお、2005年4月の福知山線脱線事故では、JR西日本が事故直後の記者会見で置き石が事故原因とにおわせたため、この事故が振り返られたが、線路のバラストが置かれた程度で列車が脱線することは、まずあり得ない。 1981年6月6日 インド・バグマティ川列車転落事故(死者800名以上?)概要1981年6月6日、インドのビハール州で列車がバグマティ川の鉄橋から川へ転落したらしい。事故概要や被害者数は不詳とのこと。 原因運転手が線路上に牛を発見し急停車をかけたためと言われる。 影響ギネスブックが一時、犠牲者数史上最悪の鉄道事故として掲載したらしい。 1982年1月29日 天王寺駅車止め衝突事故(負傷者46名)概要1982年1月29日8時23分頃、大阪府大阪市の国鉄阪和線天王寺駅で、和歌山発天王寺行区間快速列車(電車6両編成・乗客約1,400名)が線路終端の車止めを突き破りホームに衝突した。 原因指導運転士付き見習い運転士がブレーキをかけ遅れたものと思われる。 影響新型の列車自動停止装置(ATS)の開発を促した。何度も発生している天王寺駅車止め衝突事故のひとつとして記憶される。 1982年3月15日 名古屋駅構内寝台特急「紀伊」追突事故(負傷者14名)概要1982年3月15日2時16分頃、愛知県名古屋市の国鉄東海道本線名古屋駅構内で、停車中の東京発紀伊勝浦行寝台特急「紀伊」(14系客車6両編成)に機関車(DD51形式ディーゼル機関車1両)が衝突した。客車3両が脱線。 原因機関車の運転士の飲酒運転によるもの。「紀伊」は名古屋駅まで電気機関車で牽引され、ここから非電化の関西本線に入るためディーゼル機関車に付け替えられていた。 影響国鉄への信頼がますます失われた。なお、寝台特急「紀伊」は利用低迷のため1984年2月ダイヤ改正で廃止。 1983年5月8日 東北本線踏切溝挟まれ事故(死者1名)概要1983年5月8日18時15分頃、栃木県の東北本線宇都宮〜岡本間の踏切で、小学4年生の少女が黒磯発上野行列車(電車7両編成)に轢かれた。 原因踏切内のレールの溝に足を挟み抜けなくなったもの。 影響全国の踏切のレールの溝にゴムが挿入された。列車の乗り心地は悪化したが同種の事故は避けられている。 1984年5月5日 阪急六甲駅電車衝突事故(負傷者72名)概要1984年5月5日11時30分、兵庫県神戸市灘区の阪急電鉄神戸線六甲駅構内で、待避線から本線に出てきた上り回送列車(山陽電車4両編成)に、本線を走行してきた梅田行特急列車(阪急電車8両編成)が衝突した。 原因回送列車の運転手の運転ミスによるもの。列車自動停止装置を切り、車掌の出発合図を確認せず、信号確認を怠ったと見られる。 影響山陽電鉄所属の回送列車の車掌が事故の11日後に自社線で飛込自殺した。 1984年10月19日 西明石駅寝台特急「富士」事故(負傷者24〜32名)概要1984年10月19日1時48分頃、兵庫県の国鉄山陽本線西明石駅構内で、宮崎発東京行寝台特急「富士」(電気機関車+24系寝台客車13両)の客車がホームに激突し下部がえぐられた。 原因速度超過によるもの。当日は工事により駅構内で分岐器を渡るため通過速度が制限されていたが、運転士は通常の時速約100キロで運転した。機関車の運転士の飲酒運転との関連が指摘される。ホームに激突したのが寝台客車のベッド側でなく通路側であったため人的被害が抑えられた。 影響度重なる不祥事で国鉄への信頼はますます失われた。1973年の平野事故を機に試験が続いていた新型の自動列車停止装置(ATS)が、1987年に西明石駅など3駅に配備された。 1984年12月21日 上信電鉄列車正面衝突事故(死者1名・負傷者120〜132名)概要1984年12月21日7時54分頃、群馬県の上信電鉄千平〜下仁田間で、下仁田行列車(6000系電車2両編成)と高崎行列車(100系電車2両編成)が正面衝突。高崎行列車の運転手が死亡。 原因高崎行列車の運転手の信号確認ミスか、下仁田行列車の居眠り運転か。列車自動停止装置(ATS)の未整備や、朝通勤時間帯の複雑なダイヤも遠因とされる。 影響上信電鉄では3か月後に急行・快速・準急とあった優等列車を準急1本に整理し列車を60本から54本に削減するダイヤ改正を実施、ATSを整備し1985年12月24日から使用開始。上信電鉄は1976年から斬新なデザインの新車投入に代表される積極策で地方私鉄の優等生と見られていたが、この事故以来新車投入は途絶え電車はくすんだ単色に塗り替えられるなど、見るからに意気消沈という感じを受ける。 1985年7月11日 能登線急行列車脱線転落事故(死者7名・負傷者29〜32名)概要1985年7月11日14時21分頃、石川県鳳至郡穴水町の国鉄能登線古君〜鵜川間で、金沢発蛸島行急行「能登路5号」(キハ58系気動車4両編成)が、盛土の崩壊で宙吊りになった線路に進入し脱線、3両が転落した。 原因降雨により盛土が崩れたため。降雨時ではなく降雨終了約6時間後に崩壊した、盛土の「遅れ破壊」という珍しいケース。現地を約1時間半前に列車が無事に通過していた。 影響水抜工のない古い構造の築堤を改良、降雨時の運転規制に降雨間隔48時間以内の総降水量を取る「累積雨量」の考え方を取り入れた。近年にしては死者数の多い鉄道事故であるが紹介例は少ない。なお、国鉄能登線は廃止対象線となり1988年からのと鉄道で、2005年3月31日限りで廃止。 ※2004年3月12日補訂:盛土崩壊原因に言及。参考文献:日本鉄道施設協会誌2004年3月号 1985年11月27日 国電同時多発ゲリラ事件(負傷者なし)概要1985年11月27日の未明から早朝にかけて、東京・埼玉・千葉 神奈川・京都・大阪・岡山・広島の各都府県で国鉄の信号や通信のケーブルが切断され、多くの路線が不通となるなどダイヤが混乱した。総武線浅草橋駅は襲撃と放火を受けて終日閉鎖。 原因過激派によるゲリラ事件。国鉄分割民営化反対行動の一環と見られる。 影響世論はますます国鉄解体賛成に傾き、1987年4月の分割民営化を後押ししたと感じられる。 1986年3月13日 東急東横線横浜駅電車脱線事故(負傷者なし)概要1986年3月13日7時28分頃、神奈川県横浜市の東急東横線横浜駅構内で、元住吉発桜木町行急行列車(9000系電車8両編成)の最後尾車が脱線した。 原因S字の急カーブでの低速走行に台車がうまく追従しなかったもの。当時は台車の4点支持が悪さをしたと言われた。 影響デビューしたての最新鋭電車に改良が加えられた。後の2000年の営団中目黒駅列車脱線事故で、軸重のアンバランスを抑える管理を導入していたことが判明。 1986年11月?日 特急にちりん運転打切事故(負傷者なし)概要1986年11月、大分発下関行特急「にちりん8号」または「にちりん24号」(485系電車7〜8両編成?)が小倉駅で運転を打ち切った。 原因電車の運転台に直流電化区間への乗り入れに必要なスイッチがなかったため。上野・新潟間特急「とき」に使われ、1982年11月の上越新幹線開業により使われなくなった直流電車の先頭車を、1984年2月の国鉄ダイヤ改正で先頭車が不足した九州へ、交直流電車に改造して持って行った際に、九州内での運転区間はすべて交流電化であるため、交直流を切り替えるスイッチを装備しなかった。1986年11月のダイヤ改正で「にちりん」が下関に乗り入れたことで、直流電化区間での運転が発生した。 影響上記該当の電車2両に切替スイッチを取り付けた。該当の車両は1991年と1993年に老朽化のため廃車。 ※日時不詳により調査中。1986年12月28日 余部鉄橋列車転落事故(死者6名・負傷者6名)概要1986年12月28日13時24分、兵庫県の国鉄山陰本線鎧〜餘部間で、下り回送列車(DD51形式ディーゼル機関車+お座敷客車「みやび」7両編成)のうち客車7両が余部橋梁から転落し水産加工場を直撃した。車掌1名と工場作業員5名が死亡、車内販売員1名と工場作業員5名が重軽傷。 原因客車が橋梁上で突風にあおられたもの。運行規制値を超える風速が断続的に観測されていたが、列車の運行が中止されていなかった。車両が香住駅で団体客を降ろした軽量な客車であったことが転落を後押しした。 影響全国の類似箇所で風速計を増設整備、風速値を平均風速でなく瞬間風速で決めるなど、運転規制基準やその運用の改訂が実施された。余部橋梁では防風柵の設置と運転規制の強化を実施、以後運行の遅延や中止が激増している。国鉄最後の重大事故として歴史に刻まれる。なお、鉄道名所でもある同橋梁は内陸側への掛け替えが決定した。 1987年11月18日 イギリス・ロンドン地下鉄キングスクロス駅火災事故(死者30〜31名・負傷者50名)概要1987年11月18日、イギリスのロンドン市内地下鉄道ピカデリー線キングスクロス駅で火災が発生した。 原因木製エスカレーターの隙間に火がついたタバコが投げ入れられたのが原因と思われる。 影響ロンドン地下鉄が全駅禁煙となった。また、国内の地下鉄駅の全面禁煙化のきっかけとなった。その他の駅の禁煙化推進は2003年の健康増進法施行まで待たなければならなかった。 1988年3月24日 中国上海列車衝突事故(死者28〜29名・負傷者99名)概要1988年3月24日15時20分頃、中国・上海近郊の南新環線匡巻信号所付近で、南京西発杭州行311列車(ND2形機関車+客車16両)と長沙発上海行急行208列車が正面衝突した。311列車に乗車の日本の修学旅行の高校生に26名の死者と47名の負傷者が出た。 原因杭州行列車の運転士の信号確認ミスと思われる。 影響海外への修学旅行が自粛された。 1988年3月30日 欧風気動車「アルカディア」車両火災事故(負傷者なし)概要1988年3月30日18時頃、新潟県南魚沼郡湯沢町のJR上越線越後中里〜越後湯沢間で、高崎発長岡行の団体臨時列車(キハ58系気動車「アルカディア」3両編成)の最後尾車から出火し1両を全焼した。乗客は長岡駅主催「アルカディア号でよい子の一人旅 群馬サファリと動物教室」のツアー客で、乗客乗員82名のうち66名がこどもだった。 原因排気管の過熱によるものとみられる。ディーゼルエンジンの形式は、国鉄で標準型として幅広く使われたDMH17系。 影響JR東日本はDMH17系エンジンを積むすべての気動車のエンジンを載せ替えた。被災車両1両が廃車。 1988年12月5日 JR東中野駅列車追突事故(死者2名・負傷者113名)概要1988年12月5日9時40分頃、東京都中野区のJR中央本線東中野駅付近で、東中野駅に停車中の西船橋発中野行列車(103系電車10両編成)に、後続の千葉発中野行列車(201系電車10両編成)が時速約40キロで追突した。運転士1名と乗客1名が死亡。 原因後続列車の信号無視が原因と思われる。列車が赤信号を通過すると列車自動停止装置(ATS)により列車は自動で停止するが、確認ボタンを押すとそれが解除され運転士の操作で運転が可能となり、過密運転と列車の遅れ回復のためにその操作が常態となっていた模様。現場は下り勾配の左急カーブで、停車列車の発見とブレーキが間に合わなかったという考察もある。 影響JR東日本は新型の列車自動停止装置「ATS-P」の導入を前倒しした。後続電車は9両が廃車。JR発足後最初の旅客死亡事故として歴史に刻まれる。 1989年4月13日 飯田線北殿駅列車正面衝突事故(負傷者138〜157名)概要1989年4月13日16時57分頃、長野県上伊那郡南箕輪村のJR飯田線北殿駅構内で、停車中の天竜峡発長野行下り列車(電車3両編成)に上諏訪発天竜峡行上り列車(電車2両編成)が衝突した。列車通学の高校生が多数負傷。 原因上り列車が赤信号を通過したため。列車行き違いの駅でポイントが切り替わらないうちに上り列車が駅構内に入ったため、停車中の下り列車と正面衝突した。 影響列車自動停止装置(ATS)に、運転手が赤信号の確認ボタンを押しても、赤信号を通過すると強制的に非常ブレーキがかかる機能を追加した。 ※2004年3月13日修整:時刻と列車の発着地を追加 1989年8月27日 天王寺駅列車車止め衝突事故(負傷者31名)概要1989年8月27日14時20分頃、大阪府大阪市のJR阪和線天王寺駅で、和歌山発天王寺行快速列車(103系電車6両編成)が車止めに衝突した。 原因何らかの理由で電車の減速が間に合わなかったため。ブレーキが効かなかったとの運転士の証言がある。 影響過去に何度か発生した天王寺駅での同種事故のひとつとして振り返られる。 |