抹香鯨の鉄道事故年表


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1922年2月3日 北陸本線列車雪崩直撃事故(死者88〜90名・負傷者42名)

概要

 1922(大正11)年2月3日、新潟県の北陸本線親不知・青海間の勝山隧道付近で、米原?発糸魚川?行列車(2120型蒸気機関車+客車6両)が雪崩の直撃を受けた。

原因

 豪雪による雪崩に巻き込まれたもの。

影響

 地元から動員された除雪作業員が多く犠牲になった。雪崩による鉄道事故として史上最悪の犠牲者数として鉄道史に刻まれる。


1923年9月1日 根府川駅列車転落事故(死者112名・負傷者13名)

概要

 1923(大正12)年9月1日12時頃、神奈川県の熱海線根府川駅で、真鶴行列車(960形式蒸気機関車+客車8両)が地滑りに巻き込まれ、約45m下の海中に転落した。

原因

 関東大震災による山崩れによるもの。

影響

 関東大震災による鉄道事故では最大のものとして歴史に刻まれる。なお、熱海線は現在の東海道本線国府津・熱海間。


1926年9月23日 箱根登山鉄道脱線転落事故(死者17名・負傷者10名)

概要

 1926(大正15)年1月16日13時20分頃、神奈川県の箱根登山鉄道小涌谷・宮ノ下間で強羅発箱根湯本行?列車(電車1両)が脱線し転落した。

原因

 80パーミル(8%)の急勾配で速度が上がり過ぎたため。通常運転の鉄道では日本最急勾配の路線であるため、電車には4種のブレーキが備え付けられていたものの、なぜ速度を落とせなかったのかは不詳。

影響

 箱根登山鉄道史に残る事故として、ときたま紹介される。


1926年9月23日 山陽本線特別急行列車脱線転覆事故(死者34名・負傷者39名)

概要

 1926(大正15)年9月23日3時28分、広島県の山陽本線安芸中野・海田市間で、東京発下関行第1特別急行列車(C51形式蒸気機関車+客車11両)が脱線し転覆、客車4両が粉砕した。

原因

 豪雨で築堤が崩壊したため。日本と大陸を結ぶ国内最優等の列車であり、2分の遅延を取り戻すべく速度を上げていたことと、客車の車体が木製であり破壊されやすかったことが、被害を大きくしたと考えられる。

影響

 車体が木製の客車の製造中止が前倒しされ、鋼製の車両が製造されるようになった。


1928年12月6日 柳ヶ瀬トンネル窒息事故(死者3〜5名)

概要

 1928(昭和3)年12月6日11時13分、滋賀・福井県境の北陸本線刀根・雁ヶ谷間の柳ヶ瀬トンネル内で、上り貨物列車(D50形式蒸気機関車+貨車45両+D50形式蒸気機関車)が停止し乗務員が窒息した。反対側から救援のために向かった機関車の乗務員も窒息した。

原因

 トンネル内に機関車の煤煙が充満したため。貨物が重かったこと、トンネルが急勾配(25パーミル=2.5%)であったこと、1884(明治17)年完成の古いトンネルで内空断面が小さかったことも災いした。以前から列車運転上の難所と指摘されていたという。

影響

 乗務員が煤煙に巻かれることを防止するために、全国の長大急勾配トンネルに遮断幕が整備され、一部の蒸気機関車の煙突に集煙装置が取り付けられた。現在はいずれも使用されていないが、いくつかのトンネルでその遺構を見ることができる。なお、事故区間は北陸本線のルート変更で1957(昭和32)年に柳ヶ瀬線となり、1964(昭和39)年に廃止。


1930年4月6日 久大本線機関車ボイラー爆発事故(死者23名・負傷者4名)

概要

 1930(昭和5)年4月6日、大分県の大湯線(現在の久大本線)小野屋・鬼瀬間で、大分・豊後森間列車(8550形式蒸気機関車+客車?両)の機関車から蒸機が客車内に吹き出した。乗客23名が火傷で死亡。

原因

 蒸気機関車のボイラーが破裂したため。蒸気が機関車前面の煙室扉を押し開け、該当列車では機関車を逆向きに連結していたため、これが客車側に吹き出した。

影響

 機関車の逆向きでの運転をなるべく減らすため、全国の終着駅で転車台の設置が進んだ。


1934年9月21日 東海道本線急行列車脱線事故(死者11〜16名・負傷者202〜216名)

概要

 1934(昭和9)年9月21日8時35分頃、滋賀県の東海道本線草津・石山間の瀬田川橋梁上で、東京発下関行第7急行列車(C53形式蒸気機関車+客車11両)の客車9両が脱線転覆した。

原因

 室戸台風の強風を受けたもの。

影響

 全国の主要駅に風速計を設置、風速による運行規制の考え方が生まれ制度化された。現在でもその考え方は生きている。


1939年11月1日 ガソリンカー事件(中勢鉄道脱線事故)(死者2名・負傷者50名)

概要

 1939(昭和14)年11月1日早朝、三重県津市の中勢鉄道の列車(ガソリンカー1両編成?)が青谷付近(二重池停留所付近?)で脱線し転覆した。

原因

 明文を見ていないが、速度超過か施設の老朽化ではないだろうか。

影響

 刑事裁判で運転手の弁護人が、ガソリンカーは汽車や電車でないため転覆させても刑法上の罪に該当しないと主張、最高裁はガソリンカーが条文上の「汽車」に含まれると解釈し、有罪判決を下した。この判例が刑法学上の「類推解釈」の教材として、現在も大学法学部の授業で取り上げられる。


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