抹香鯨の鉄道事故年表


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1830年9月15日 イギリス・パークサイド駅旅客轢死事故(死者1名)

概要

 1830年9月15日、イギリス・パークサイド駅付近で、鉄道会社の要請を無視して停車時間中に線路内に立ち入った人を列車がはねた。鉄道会社の設立の功労者である代議士が死亡。

原因

 線路内で転倒して逃げ遅れたもの。世界初の本格的な旅客鉄道の公式開業日で、乗客も運転手も不慣れな点があったと思われる。

影響

 世界最初の鉄道事故として歴史に刻まれた。


1841年12月24日 イギリス・グレートウェスタン鉄道事故(死者8名・負傷者17名)

概要

 1841年12月24日、イギリス・グレートウェスタン鉄道レディング付近で、崩壊土砂に混合列車(蒸気機関車+客車2両+貨車)が乗り上げ、客車が機関車と貨車に挟まれ押し潰された。

原因

 長雨で線路脇の土砂が崩壊したため。客車が三等車で屋根がなく腰板があるだけの無蓋貨車風で簡単に潰れたことが被害を拡大したと思われる。

影響

 三等旅客の劣悪な客車設備が社会問題化し、1844年に「議会列車」が登場した。客車に座席と屋根を設置した平均時速20キロ以上の各駅停車を最低一日一本運行すれば5%の交通税を免除するという法律に基づく列車で、三等車のレベルアップを促し、三等旅客増大と運賃収入増加の相乗効果で鉄道利用の大衆化をもたらしたと思われる。


1874年10月11日 新橋駅構内脱線転覆事故(負傷者なし)

概要

 1874(明治7)年10月11日9時15分、東京都の新橋駅構内で、横濱発新橋行列車の機関車と貨車が脱線し転覆した。負傷者なし。

原因

 分岐器の故障と推測されている。

影響

 事故当日は列車が全面運休となった。また、1872(明治5)年の鉄道開業以来初めて、つまり日本最初の鉄道事故として歴史に刻まれた。なお、当時の新橋駅は後の汐留駅(荷物専用)で、現在は廃止。


※2005年10月12日補訂:事故発生日の訂正

1877年10月1日 西宮・神戸間正面衝突事故(死者2〜3名・負傷者2名)

概要

 1877(明治10)年10月1日21時頃、兵庫県の西宮・神戸間で、上り旅客列車と下り回送列車が正面衝突した。列車の乗務員が死亡。

原因

 当日は上り列車の前に西南戦争兵隊輸送のための臨時列車が設定されていたが、西宮駅で上り旅客列車とすれ違う予定の下り回送列車が、臨時列車の到着後に上り旅客列車の到着を待たずに出発したもの。当時は駅長同士の電信で列車運行が制御されていたが、下り回送列車は駅長の合図なしに出発したとされている。

影響

 日本初の鉄道死亡事故として歴史に刻まれた。また、1区間に1列車しか入れないようにする票券閉塞方式の導入が前倒しされた。


1879年12月28日 イギリス・テー長鉄橋崩壊事故(死者78名)

概要

 1879年12月28日夜、イギリス・スコットランドのテー長鉄橋が崩壊、ロンドン行急行列車(SL1両・客車5両・緩急車1両編成)が湾内に転落、乗客73名と乗員5名の全員が死亡。

原因

 風速毎秒約40mの嵐の中で列車を運行したこと、全長3,552mという当時世界最長の橋梁について材質や設計や施工が未熟であったことが指摘された。

影響

 鉄橋材料の鋳鉄や銑鉄から鋼鉄への切替およびその改良を促すなど、橋梁建設技術の進歩に多大な影響をもたらした。また、おそらく施工監理技術の進歩にも役に立ったと思われる。


1885年10月1日 大森駅客車転覆事故(死者1名・負傷者1名)

概要

 1885(明治18)年10月1日1時頃、東京都の大森駅構内で、折り返し中の新橋発大森行臨時旅客列車の客車14両が脱線し1両が転覆した。乗客1名が死亡。

原因

 不明。分岐器の誤切替か破損故障が原因という説がある。

影響

 日本初の鉄道旅客死亡事故として歴史に名を刻まれた。


1895年10月22日 フランス・パリ・モンパルナス駅列車車止衝突事故(死者1名・負傷者少数)

概要

 1895年10月22日、フランス・パリのモンパルナス駅で、グランビル発モンパルナス行急行列車(721号蒸気機関車+客車12両)が終着駅の行き止まり式のホームで止まらず、車止めを乗り越えて駅舎を突き破った。

原因

 当時最新型の自動直通ブレーキの動作不良と思われる。衝突の衝撃で機関車と客車の連結が外れたため、乗客への被害が抑えられた。

影響

 機関車が駅舎を突き破り駅前広場に落ちた写真が残された。なお、世界初の時速300km運転を開始したTGV大西洋線のパリ側ターミナル駅はこの駅。


1901年7月12(13)日 信越線旅客転落事故(死者2名)

概要

 1901(明治34)年7月12日か13日の20時57分、群馬県の信越線熊の平・軽井沢間で、上り勾配を走行中の下り混合列車の蒸気機関車が故障、勾配を退行中の列車から乗客2名が飛び降りて死亡した。

原因

 日本鉄道株式会社技師長の父子が、67パーミル(6.7%)の急勾配区間での列車退行に危機を感じ、自発的に列車から飛び降りたため。列車は約2キロ走行した後に熊の平駅で停止し、他の旅客に被害はなかった。この勾配での退行では約1分で時速100キロ超の高速になるから転覆必至という、技術屋の知識と計算があだとなったと語られる。

影響

 不運な話として現在まで語り継がれている。「横軽」蒸気機関車時代唯一の大事故として刻まれる。電気機関車アプト式時代と電気機関車粘着運転時代にも1回ずつ大事故が発生している。なお、事故区間は長野新幹線の開業に伴い1997(平成9)年に廃止。


※2005年4月5日補訂:概要と影響の文面の見直し
※2004年3月2日補訂:影響の文面を一部変更

1903年8月10日 フランス・パリ地下鉄火災事故(死者84名・負傷者多数)

概要

 1903年8月10日夕方、フランスのパリ地下鉄クロンヌ駅で、車両火災を鎮火したが再び燃えだしたエトワール発ナシォン行列車(電車6両編成)に、後続列車(電車6両編成)を連結して起動したら煙火災が発生、その後続列車も含め列車3本分の乗客が同駅で煙に巻かれた。

原因

 電気のショートによる。車両が木造で燃えやすかったことと、煙の中で地下駅の避難経路が分からなくなったことが被害を拡大したと思われる。

影響

 地下駅に火災報知器と階段の油ランプ照明が付けられた。また、パリ地下鉄の車両の鋼製化を促進したとされる。


1913年10月7日 「東岩瀬事故」(死者24〜26名・負傷者104〜107名)

概要

 1913(大正2)年10月7日4時23分、富山県の北陸線東岩瀬駅で、下り貨物列車と上り団体列車が単線の本線上で衝突した。

原因

 東岩瀬駅で団体列車と行き違うはずの貨物列車がオーバーランして単線の本線上に飛び出し、駅に戻る途中に団体列車が突っ込んだもの。この場合には団体列車に対して停止信号が出るシステムになっているはずが、なぜ止まらなかったのかは不明。

影響

 現在でも使われている、列車のオーバーラン時に本線に出ず脱線する仕組み(安全側線)が整備されるきっかけとなった。なお、東岩瀬駅は1950(昭和25)年に東富山へ改称し、現在の富山港線東岩瀬駅は当時の越中岩瀬駅。


1915年5月22日 イギリス・キンティンスヒル二重衝突事故(死者277名)

概要

 1915年5月22日、イギリス・カーライル近郊のキンティンスヒル駅構内で、上り本線に停車中の下りローカル列車に上り軍人輸送列車が衝突し支障された下り本線に下りグラスゴー行急行列車が進入し衝突、炎上した。

原因

 駅の信号係員が、上り本線に列車がいる状態で、隣駅に上り列車発車制限の情報を送らず、駅構内進入許可のレバーの固定を怠ったため。客車が木造でもろく燃えやすかったことと、進入両列車が高速であったことで被害が拡大したと思われる。

影響

 イギリス鉄道史上最悪の事故として歴史に刻まれる。


1916年11月29日 東北本線下田・古間木間正面衝突事故(死者20〜29名・負傷者171〜180名)

概要

 1916(大正5)年11月29日23時40分頃、青森県の東北本線下田・古間木間で、下り臨時旅客列車(8620形式蒸気機関車+客車18両編成)と上り貨物列車(3200形式蒸気機関車+貨車20両編成)が、単線の本線上で正面衝突した。

原因

 当時の同区間の運行管理方法は、閉塞器という機械から1区間に1枚の通票を出し、それを持った列車のみが該当区間を走行できる通票閉塞というシステム。古間木駅員が臨時列車の通票取扱をして就寝し、それを知らない別の駅員が通票の出ない機械を故障と判断、不正操作で貨物列車に通票を出したため、該当区間に両列車が進入してしまったもの。

影響

 閉塞器について、不正取扱防止と信頼性向上の改良が図られた。なお、古間木駅は1961(昭和36)年に三沢へ改称。


1917年12月22日 フランス・列車脱線転覆事故(死者543名)

概要

 1917年12月22日、フランス・セニストンネル線モダース付近で、クリスマス休暇の兵士を乗せた臨時列車が下り勾配を暴走し、急曲線木橋上で脱線転覆し炎上した。なお、犠牲者数は425、534、800名以上など諸説ある。

原因

 急勾配区間を下る際のブレーキの制御ミスか故障によるもの。超満員による重量オーバーや、軍の命令による無謀運行も指摘されている。

影響

 2004年時点で、犠牲者数で世界最悪の鉄道事故として歴史に刻まれる。なお、この路線が経由するイタリアとフランスを結ぶモン・スニ峠は、1871年に欧州最初のアルプス越えトンネルで鉄路が結ばれた区間であり、ナポレオンのイタリア侵攻ルートでもある。


1918年2月7日 信越本線熊の平駅列車衝突事故(死者4名)

概要

 1918(大正7)年2月7日、群馬県の信越本線熊の平・軽井沢間で、上り勾配を走行中の下り貨物列車の電気機関車が故障、勾配を退行し熊の平駅で引込線に進入、トンネル内壁に激突した。乗務員が死亡。

原因

 電気機関車の故障によるもの。67パーミル(6.7%)の急勾配区間で、当時はレールの間に歯車を設置し電気機関車に噛み合わせて上り下りする方式で運行されていた。

影響

 「横軽」電気機関車アプト式時代唯一の大事故として刻まれる。蒸気機関車時代と電気機関車粘着運転時代にも1回ずつ大事故が発生している。なお、事故区間は長野新幹線の開業に伴い1997(平成9)年に廃止。


※2005年4月5日補訂:概要と影響の文面の見直し
※2004年3月2日補訂:影響の文面を一部変更

1919年11月3日 フランス・パリ郊外列車追突事故(死者26名)

概要

 1919年11月3日、フランス・パリ郊外で、信号により停止中のシンプロン急行に後続のパリ発ジュネーブ行急行列車が衝突した。

原因

 後続列車の信号無視が原因と思われる。

影響

 フランスで停止信号をブザーで警告する車内警報装置が導入された。


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